「この小説、なんか変。なにかが足りない」
などと、ある芥川賞選評で語ったのは、エイミーこと山田詠美であった。
プロに近い人が書いても、こんなことってあるんだなぁと思った。
(ほとんどプロなんだけど、たまに同人誌系の人が入ってくるので)
色々な作家の生い立ちなど探ってきて、
ある程度のものは視えてきたのだけども。
(だからって、オイラが出来るわけじゃないけど)
まず、小説を相当に読み込んでいないと、話にならない模様。・・・・・①
読み込んでいく内に、コツの様なものを知らず知らずに会得しているようだ。
これは、武道の練習と通ずるものがあると思われる。
それと同時に、落ちても落ちても書くしかない。・・・・・②
書きながら、自分の奇妙なところを直していくより他はない。
まれに天才肌の人だと、①だけで、いきなり②ができてしまう人がいる。
しかも、その文体も素晴らしかったりしてしまう。
川上弘美がその一例だと思われる。
アイディアマン・海堂尊も、文体は別にして、その口なのではないか。
村上春樹は、もともと翻訳に取り組んでおり、
それが小説を書くのにも大きく影響したという、少し例外的な作家だ。
浅田次郎は、意外なことにたいへんな苦労人であった。
①は当然行っていて、若いときから②にも取り組んでいたが、
文壇に確固たる地位を得るまで10年かかっている。
あるベテラン作家は言っていた。
10年やってみて、だめなら仕方がない。
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いつぞや目撃した小田急線での話。
「1Q84」をボロボロになるまで読み込んでいた紳士のことだけど。
あの人は多分、翻訳家か、あるいは小説を書こうとしている人なのかもしれない。
翻訳本をいろいろ読んでみると、
その文体が妙に村上春樹っぽい人がいるのを発見した。
村上春樹的文体が読者を強く魅了することを知って、その技を会得したものと思われる。
ただし、小説の新人賞を狙う場合には、
これは注意しないといけない。
川上弘美あるいは村上春樹的な文体を書いたというだけで、
「猿まね行為」として、落としまくるプロの作家(高樹のぶ子)がいるからだ。
従って、彼女が上位で審査員の場合には、その行為を避けるしかない。
ところが、最近の芥川賞で選ばれる作品には、
川上弘美あるいは村上春樹的な文体が、大通しになっている。
高樹のぶ子にとっては、ある意味試練なのかもしれない。
(高樹のぶ子の語る小説像は、正しいとは思うのだけれども)
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こまかい技術的な面では、
これぞと思う作品を徹底的に読み込んでいって、
技や書く感覚を盗みまくるしかないように思う。
「1Q84」もいいのだけど、ちょいと長いので、
「新宿鮫」シリーズがイイように思っている。
これからは、新規の小説を読んでいくだけではなく、
「新宿鮫」シリーズを何度も読み重ねていく方法もとっていきたい。
小田急線でみた紳士のように、書籍がボロボロになるまで。