共通しているのは、たとえば千年の月日を経ていても、
人の心は変わっていないということだと思った。
アドラー哲学のように、今この瞬間を切り取って歌にしたのだし、
どちらの勢力につくのか決断し生死を賭けて戦うしかなかった。
悪党だろうが善人だろうが、己の心の声のささやきに耳を傾けて生きるより他はなかった。
己の心に嘘をつかなければ、それで死んでも納得できたのだろうし、納得するしかない。
そのように理解すると、
芸術家というものは、戦国武将と同じ生きものなのだなぁと、つくづく思う。
いやいやこれはよく考えると、生きている人間は全部そうなのだけど。
謙三版「三国志」を読んでいると、そんなことを思うのであった。
なるほど、それで「ちゃんと生きることは、ちゃんと死ぬこと」と彼は言ったのか。
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(略)大学に行って一番衝撃的だった光景が暴力だったんですよ。
平気で人が殺されていた。
すぐには死なないよね、殴り殺すんだからさ。
すぐに死んだのは何人かいて、それはすぐ事件になったけど、
半殺しにされた奴が精神がおかしくなって自殺したとか、いくらでもあったんだから。
初めて大学へ行った時にね・・・・・・中大はいま八王子だけれど、当時はお茶ノ水にあったんですよ。
キャンパスで歩いていたら、周りでわーっと殴り合いが起きたわけ、五十人対五十人の。
俺はぼーっと立ってるんだけどさ、誰も俺に殴りかかってこないの。
俺はいないみたいなもんなんだよね。
みんな血だらけになって殴り合いしてるのに、俺だけ呆然と突っ立ってるって経験をして、
「なんなんだ? これは」と思って調べてみると、
セクトがあって対立してたりとかなんとかがあった。
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★「作家の決断」
阿刀田高編 文春新書 「北方謙三」P.268~269より抜粋
こういう「三国志」のような経験が、彼のハードボイルド小説の源泉にあったという話。
自分の源泉は何なのか、考えてみると何か書けるという例ではないか。