(略)新聞によると、わたしの今回の受賞理由のなかに、私小説反対の立場を貫き成果をあげた、
みたいなことがあるさうです。これはおそらく政府の発表に書いてあるのの丸写しで、どなたか委員の方がさう主張してわたしを推薦して下さったのでせう。いい所を見て下さったと、その、どなたかわからない方、ひょっとするとこの席にいらっしゃるかもしらない方の判断に感謝します。
たしかにわたしは少年時代から私小説が嫌ひで、文学的出発の当初から私小説反対を標榜し、近代日本文学の主流に対し反旗を翻してきました。あんなに曲のない詰まらないものがどうしてあんなにたくさん書かれるのか、どうしてあんなに威張ってゐるのか、わからないなあと思ってゐた。
でも、吉行淳之介に言はせると、あれは仕方がないんですって。いつだったか銀座のバーでかう言ひました。
『本当は丸谷の言ふ通りなんだよ、本格小説でゆくのが本筋なんだ。でも、毎月、雑誌に小説を渡さなくちゃならない-場合によっては月に二つも三つも書かなくちゃならないとなると、私小説でゆくしかないんだ。あれでやれば、とにかく何とか格好がつくんだ』
とかう語ったのでありました。(略)
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★「別れの挨拶」
丸谷才一著 集英社 2013.10.10.第一刷 1,600円+税
「私小説に逆らって」 P.317~318より抜粋
Wikipediaによれば、村上春樹が芥川賞候補になったとき、
村上を押した委員は、丸谷才一と吉行淳之介だとある。
村上に反対した委員の意見として、
その作品がバタ臭いとか、他に恋愛描写に難があるみたいなことを言われたらしい。
丸谷才一は海外の作品の通じていたし、吉行淳之介は恋愛描写が得意だったので、
この二人から認められていたのだから、芥川賞を授けるべきだったのだと思う。
ところで、文藝春秋に掲載された「ドライブ・マイ・カー」も「イエスタデイ」も、
私小説の雰囲気のある作品である。
村上春樹は、今までと反し、どうして私小説風の作品を書こうと思い立ったのであろうか。
少し長い掲載の約束があって、上に抜粋した吉行淳之介の表現が的を射ているのであろうか。
それとも、村上春樹は己から、私小説風の作品に敢えて挑戦しようと考えたのであろうか。
オイラには、どっちでもイイんだけど。
文学上の対立も何も、見ていて不愉快だしオモロクない話だ。
作家は缶詰になんかならず、差し詰めネコのようにわがままに、
自分の書きたいものを書きたい風に書いて、
それを読んだ読者がオモロイと思ったら、それでイイじゃないかと思う。
丸谷才一の話に戻るが、
彼は抜粋した部分のあとで、もっと私小説を理解しても良かったかな?風な意見を述べていた。
そうすべきだったと思う。
PS:別の章で短い文章だが丸谷は、
大沢在昌の「新宿鮫」について、実にお茶目な絶賛をしていた。
心底オモロイと感じていたのだろうという趣が、その文章からわかった。