いろいろ教材やら何やら比較しているのだけど、
デイビッド・セインの見解に疑義を覚えるようになっている。
たとえば、「good-bye」は「あばよ」と悪態系の訳を紹介しているが、
例えば大ヒットした次の曲を考えると、「あばよ」じゃない。
日本人が作った英和辞書も捨てたものじゃないかも知れない。
「Time to say goodbye」サラ・ブライトマン
http://www.youtube.com/watch?v=vl6h7UWo1_Q
「sorry」系の訳も、いい意味での訳を紹介せず、悪態系な訳なのだが、
「エブリデイ・イングリッシュ」では、
店員と客というシチュエーションで普通に使われている。
デイビッド・セインの気を利かせた訳の方が納得できる場合も多いのだが、
そっくりそのまま全部を信頼できるわけでもなさそうだ。
英語といっても、イギリスとアメリカでは色々違うし、
同じアメリカでも方言があったりするし、
一方で日本人と東南アジア人とが英会話すれば、またまた亜流の話し方になったりする。
なので、デイビッド・セインを責めているわけではないのだけど、
語学の学習というのは難しいものだと、考えを改めているところだ。
しばらくは「エブリデイ・イングリッシュ」と、
デイビッド・セインの書籍でマイペース学習するつもりだが、
双方の違いについて、どのように検証していくべきなのか、検討中だ。
双方共にドンピシャリならば、それはそのマンマいただきだ。
PS:似ているようで違った味の話だけど、
レイモンド・チャンドラーの「ロング・グッドバイ」原典を和訳している時に、
どうしても意味不明な言葉があった。
悩みに悩んでいろいろ調査してみると、
レイモンド・チャンドラー自身も頭にきていたという、
当時の活字職人による誤植が原因だったと、
村上春樹は最後の長い解説で書いていた。