というタイトルの著作を堤未果が書いていた。
読んでいなかったので、それにたいするレビューに目を通したのだが。
内容は、啓蒙的なものになっており、多くの読者が影響されたようで、
オイラは好ましいことだと思っている。
しかし、彼女の著作を何冊か読み、ネットにてその種の情報になれているものにとっては、
別段新しくはない話なので購入は見送ることにした。
が、その著作に対するレビューに、とても鋭いものがあり勉強になった。
以下、抜粋させていただく。
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「政府は必ず嘘をつく」というタイトルは本書の売れ行きを目論んだ刺激的すぎるものだ。
政府は嘘をつこうとしているわけでは決してないにもかかわらず、
なぜ普通の人々から見ると嘘をついているように感じるのかを分析しなければ、
真実も今後の対策も見えてこないのではなかろうか。
東電福島事故を巡り東電も政府も都合の悪いことを隠蔽したと本書で断定しているが、
政府にしてみると政治家も役人も誰も隠蔽したという意識はないし、
仮に徹底的に調査をしたとしてもそのような事実が発見されるとは思えない。
役人は事故の詳細な状況が分からない中で、
メルトダウンの可能性を発表するのは「個人の意見」だと批判されかねないとし、
発表にも後手に廻らざるを得なかったと思われる。
避難勧告の発令も同じようなものだ。
早すぎる勧告を出して、
大した事故でもなく後になって「人騒がせだ」と批判されるのは避けたいところである。
事故の状況が分からなかったのであり、それを知っていて発表しなかったわけではない。
しかし、事故は当初の役人の予想を超えて広がり、発表が遅かった、
あるいは真実を隠していたと非難されることとなった。
マスメディアも同様だ。
東電が発表する以上のデータはないのだから、客観的報道など存在するはずがない。
想像で記事を書くわけにもいくまい。
ただし、著者が指摘するように、どのような立場の人が発言しているのか、
誰と誰がどのようなつながりの中で情報が発表されているのかを考えることは、
事態を客観的に把握するうえで重要な態度と思う。
また、米国のグローバリズムや新自由主義が何を目論み、
どのようにメスメディアを利用して報道されているかを知ることは
自分たちの生活を守るうえで重要である。
我々の意識は情報によって形成されているが、その情報はすでに何ものかによって、
作為的でないかもしれないが操作されていることを考えると、
それ自体すでに自分のものではない恐れがある。
自分の意識は自分のものではなく、
他人が何かの意図をもって形成しているという危険性はあろう。
この本に書かれていることは今に始まったことではなく、
人類の歴史の中で人間が常に行ってきた平凡なことである。
その意味では特段驚くことではあるまい。
人生は自分の物語を形作っていく作業であるが、その物語を他人に勝手に作られてはならない。
むしろ、自分の物語を社会や国の物語に昇華させてしまうという野心を持つべきなのかもしれない。
その段階において、均衡がとれると思うのだが。
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堤未果の書いたことを知らない人はまだまだ多いわけで、
そういう人にとっては、目から鱗の内容なのは間違いがないだろう。
しかしこの寺岡氏は他に書いたレビューから察するに人生のベテランであり、
また読書のプロといっても良いような人で、
そういう人にとっては、また別の世界・意見がみえるということだ。
赤字の部分には特に、良い意味でちょいと揺さぶられるところがある。
ところで、堤未果のこの著作に関して挙げられた欠点について、
複数のレビューを要約すると次に二点になる。
1 取材先のバランスが悪く、偏っている
2 具体的な解決策が、ほとんどみえてこない
1に関しては、故・山崎豊子の取材の仕方に関する書籍を読んでみて、
感じるところが色々あるのだが。
山崎の作品によって悪影響を受けるかも知れない体制側の人間に取材しているんだ、豊子女史は。
この点が、山崎のすんごいところだ。
だからあんなに著作ができるまで、時間がかかっていたんだなぁ。。
2に関しては、寺岡氏の赤字部分の指摘が、その突破口になりそうな気がする。