元祖SHINSHINさんのブログ
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北方謙三パワーは強烈だ
件の星新一賞へ出すかも知れない作品、
10,000文字以内という規定なのに、半分の文字数で終わってしまう。
削って、削って書くという北方謙三方式の威力は凄い。
でもそこには注意事項もあって。
「あんまり削っちゃうと、なんにもなくなっちゃうからな!」
と語ったのは、北方謙三なのであったw
一人称、ほとんど私小説に絡めた理系的な未来予想図。
そしてラテン系なハードボイルドもどき。
これが私小説かどうかは、きっと読者にはわからず、空想だといえばそうみえるだろう。
自分としては形になってきたところなのだが、
もっと話を入れるか、膨らませるかしないといけない気もする。
少し問題があって。
ヤバイ話の部分はうまくボカシタので、そこはOKだと思われるが、
キーとなるサブキャラに実名がでているのだ。
ここをイニシャルかアルファベットか全く架空の名前か、
どうするか悩んでいる。
かなりインパクトが変わってしまうところだと思っている。
それから理系の作品ということで、
その材料となる部分を、今のままで読者に理解してもらえるかも問題だ。
これでいいのかどうかも不明なところは多いが、
小説を書くというのは、粘土細工に似ているような気がした。
小説を読んでばかりいても掴めない、
小説を書くという感触を体験するのは、
思っていたよりもオモロイことだ。
病みつきになる予感がする。
小説にチャレンジ中ですか。
興味ありますね~。
北方謙三さんのブラッディマリーシリーズなんかは行間を読ませる感じで文字数は少ない印象ですよね。 ストーリーより文章の雰囲気や香りを味あわせる感じがあります。
香り立つ小説を是非!^^
元祖SHINSHINさんへ
懐かしい星新一さんですか・・・・・
賞が復活していたのですね。
残念な事に、最近は短編小説の公募って少なくなっていますよね。
大昔、副賞の海外旅行招待に期待して、星さんのシュートショートの広場
に応募して佳作でしたが入選して、本に掲載された記憶がよみがえり
ましたね。
その頃は青春期でしたので、小説家を目指そうかなどと淡い夢をみましたね。
作品の完成と入選を祈っております。
頑張って下さい。
おはようございます。
北方謙三先生には、お仕事の関連で自宅へ行きお会いしたことがあります。
とっても優しい先生で~~す。
自宅は川崎市南武線沿い-----秘密で゛すが!!
うわぁ、貴重なコメントありがとうございます。
ここで会ったが100年目って感じです。
川崎は、近い!
でも、もしもオイラのなんちゃって小説を彼に読んでもらったら、
浅田次郎の「人の心をわしづかみにする右フック」を得るどころか、
北方謙三の「ホンモノで実物の右フック」を喰らって、
思いっきり怒鳴られそうです。
「顔を洗って、出直してこい!」みたいな。
そういうハードボイルドな世界にあこがれるのは、
やっぱりオイラがマゾなせいでしょうかw
ところで、オイラの昔いたマエストロ掲示板で、
「あなたの文章って、北方謙三みたい」
などと、女に化けて語ったのが村上春樹だとすると、
彼は、北方謙三の小説を読んだことがあるってことになりますね。
(なぜそう仮定するのかというと、以前にも書きましたが、
「1Q84」にオイラのブログ&人生が
材料になっていたのが判明したからです)
北方謙三の一押し小説といえば、どの作品になるのでしょうか?
あるいは、村上春樹が読んだのは、北方謙三のどの作品だと思われますか?
掲示板の書き込みは、ブログと違って長く書くと悪いと思って
単に短くしてただけなんですけどね。
可笑しいですよね。
500回書いたとしたら、「イイ出来だな」などと思えたのは、
ほんの3本くらいしかないので、打率だとひどいものです。
偶然出来ていたかも知れない、北方謙三的な文章に、
小説家として新しい発見でもあったのでしょうか?
「ロング・グッドバイ」にある村上の解説によれば、
ハメットなど、省略形な小説を書く作家に興味があったようですが。
長編が得意な人から見ると、
「あり得ないような思い切った省略をしちゃうんだなー」
みたいな感触・オモロサがあるのかも知れないですね。
ももとふファンさん、
「ストーリーより文章の雰囲気や香りを味あわせる感じ」
村上春樹とか川上弘美もそうですよね。
文体に魅力のある作家は、実にお得ですねー。
ストーリーがたいしてオモロクなくっても、
読んでるだけで満足しちゃうんですもの。
これはお得です。
tukumodayoさん、うらやましいです入選だなんて。
もう書くのは飽きちゃったのですか?
気分が乗らない時に書いたって、オモロイものはできっこないので、
その気になった時、貴殿は怖いですね~。
オイラの場合は発想が少々オモロクても、
それを小説化する技術がとても未熟なので、
とーぶん、無理っぽいですけど。
でも、書かなくては上達しないので、書いてみることにしただけです。
しょぼぼん。。
元祖SHINSHINさんへ
いっ~佳作入選とは言っても星先生の講評は、よく分らない作品だけど
これも若い芽かも知れないので摘むのは惜しいから、実験的に採用した
との事でしたからね。
17歳の頃、カメラマンのバイト中の待ち時間に書いた作品でしたね。
小生、小説やら絵やら写真やらバイクレースやらボクシングやら
色々と試しては見ましたが、哀しいかな3流の域を出た事は無いですね。
まぁ~才能かも?と思えるのは、自分の作品に足りないものや課題なとが
ある程度理解出来る事かも知れませんね。
しかし、課題が理解出来たとしても、壁が高過ぎると怠惰に侵されたり、
根気が枯渇したりで、なかなか3流の域から抜け出れないのが現状ですね。
さすがに格闘技やバイクレースはもう諦めてますが、絵と小説はまだ
諦めきれてないですね。
世間の評価はともかく、良く頑張ったと自分が納得出来る作品を
一作でも残して、この世とおさらばしたいとは考えております。
まぁ~せっかくこの世に生を受けたのですから、記念に落書きのひとつ
もと思う次第です。
tutumoddayoさん、オイラも同感です。
それに、何かに熱中していることじたいが、
幸せなことなんじゃないかと思っています。
お金だけたんまりとあったって、
何をやっても熱中できず、つまらない心境になるのではないかと
感じている次第です。
オーストラリアにプロゴルファーがいて、
昔、テレビになったのですが、
もともと家が大金持ちな彼は、
本業のゴルフに集中することがどーしても出来ずに、
つまらないと嘆いて苦しんでいました。
なんという不幸なのでしょうか。
やはり熱中できることがあるというのは、
それだけで幸せなことなのだと思います。
元祖SHINSHINさんへ
年齢に関係なく熱中してる方って輝いていますからね。
定年してから熱中出来る趣味を探そうとしても、なかなか
難しいと定年された先輩方からよく聞きますね。
小生が多趣味なので定年される先輩方が趣味の相談に来られる
事も多かったですが、その後どうされたやらやら???
しかし、小生も最近怠惰に侵されて、探究心が不足致しており
小説も絵画も全然進化致しておりません。
そろそろ、微かに残ってる素養らしき物も枯渇しそうなので・・・・・
アトリエの掃除から始めてみますかね。
小説も絵画も、確かに書&描かないと鍛錬になりませんからね。
改善する課題が滞積するばかりで、途方にくれてる状態ですが
我が実力不足を認識しながら、謙虚&真摯にドン亀の如く這って
行くしか無いのでしょうね。
抜けれそうも無い壁でも、叩き続けてたらある日突然明日への
扉が開く事がありますからね。
創作では体験がありませんが、剣道の鍛錬で一度だけ経験がありますね。
野球でいうと、長嶋・中畑路線ですね。
「考えるな、躰で感じろ」的な世界ですね。
そうですよね、ある程度理論を学んだら、
あとは実践して掴んでいくしかない。
小説だと、どー考えてもこのままじゃダメだという他人の作品に対して、
自分で書き直してみるってのも、オモロイ方法かも知れないですね。
どーやったらオモロクなるのか、素敵になるのか実践してみるのって、
勉強になりそうです。
自分で書いたものだと、みえなくなることってあるじゃないですか。
不思議と他人の作品だと、いろんなことを思うんですよね。
tukumodayoさんは、ご自分のことがみえているようなので、
オイラより遥かに上段者なのですね。
オイラには、まだ自分のことが見えないのです。
一人称で理系な作品だと、描写ではなく説明になりがち。
ある程度は仕方がない部分もあるのですが、
経験が足りないのでじれったい思いに駆られています。
一人称で名を残した作品を読んでみては、
落ち込んでいるのでしたw
元祖SHINSHINさんへ
いゃ~見えるとは言っても、次の尾根やら山が見えるだけで
そこに到達したら、また次の山が遥か遠くに見えるだけですね。
そんな事の繰り返しですよね。
山に到達した瞬間は、ちと嬉しくもありますが・・・・・・・・・・・・
同時に反省点も多く次の山(課題)が遥か遠くに見えて
あらら~またかと疲れますね。
そうですねぇ~昔昔読んで感銘を受けた作品でも読み返して
みますかね。
ジョン・スタインベックさんの怒りの葡萄やら、素九鬼子さんの旅の重さ、
カーソン・マッカラーズさんの心は孤独な狩人なんかねぇ~。
しかし、絵をなかなか描かないので我が怠惰を諫めよう、ルネッサンスの故郷
であるイタリア全土の美術館巡りの旅に出た事もありますが、なかなか
我が心に巣くう怠惰さんはしぶとくて、アトリエには白いままのキャンパス
ばかりが積み重ねられておりますからね(溜息&涙)困ったモンダミン。
困ったモンダミン。
あはは。。
それでも、そういう空白期間というのは、
作品作りにはきっと必要なのでしょう。
絵も、描いてみたいなぁ。
素人のオイラには、写実派というのがわかりやすくて惹かれます。
なんであんなに写真のように描けるのか、不思議でなりません。
どーなっているのでしょうか。。
小説とか絵画、音楽、演劇というものは、
すべて繋がっていると三島由紀夫や佐藤亜紀などが書いているのを読みました。
本当に、オモロイ世界ですね。
元祖SHINSHINさんへ
小生も写実が好きですね。
海外ではウィリアム・ブグローさん、日本では森本草介さんとか
ええですね。
短編小説、完成しましたか???
絵も地道なデッサンの鍛錬が必要な様に
小説も地道な習作が必要なのでしょうね。
三島由紀夫さんの文章なんて研ぎ澄まされてますよね。
コツコツと地道な鍛錬に耐え得る忍耐力も重要な才能だと
痛感致しますね。
小生に一番欠けてる才能ですからね。
小生も、ほんとうは油絵に挑戦致したいのですが
鉛筆画で色彩を感じられる作品を描けたら、キャンパスに
向かおうと考えておりますが、何にやら遠い遠い道程ですね。
基本的にデッサンが苦手なので・・・・・・・・・・・・・・・・・
tukumodayoさん、どーもです。
小説ですが、
前半は悪くない気がするのですが、
後半がいただけない状態で放置しています。
「私小説+未来形+理系材料+?な話」という構成です。
振り返ると、いろいろ神懸かっていた人生だと思っています。
中盤まではそうしたことを表現しています。
旋律を3本描いての、ミニミニ協奏曲。
落ちの台詞はもう決まっていて、これは外せません。
そこへ至るつなぎが、いただけないのです。
この作品を起点軸に出来れば、
そこから色々なストーリーが複数派生できるという算段なのですが。。
丁度、データベースメンテの仕事が入っていて多忙なので、
この空白の時間を使って、後半部分の練り直しです。
お気に入りの音楽を聴いていると、
書く気分が盛り上がってくることを発見しました。
>鉛筆画で色彩を感じられる作品
素敵なイメージですね。
小説にもプラスになりますね。
想像するだけで、いろいろ感じてしまいます。
>基本的にデッサンが
これ、ちょうど小説でいうと文体の形成にあたりそうですね。
北方謙三氏は、
「100話くらい書かないと自分の文体が出来ない。
どうして今の新人は、ほんの数本で投稿しようなどと思うのか」
と、ある書籍で嘆いておられました。
耳が痛いですね~^^