東海アマさんの記事に紹介されていた。
読んでみたら、オモロイことが書いてあった。
書いているのは韓国人だが、
小説という芸術に、お金持ちがスポンサーについたらと夢想している。
村上自身の作品を多国語へ翻訳する段、
村上春樹自身の創作&翻訳スタイル、
また、委託する翻訳家の選び方など興味ある話が、短いながら凝縮されてる。
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/04/21/2013042100213.html
「コラム 村上春樹 その成功の秘訣は?」 記事入力 : 2013/04/21 09:49
今回の新作では、レクサスが実名で出てきていた。
スポンサー関係があるのか不明。
内田康夫の「壺霊」でも、複数の企業名が実名で出ている。
京都の和菓子屋さんも、場所と共に実名。
両作家とも、作品の中でさらりと実在の企業名を登場させているわけだ。
そうすることで、作中にリアルな臨場感がでてくると思われる。
映画の007シリーズと似ている。
が、007は明らかに露骨なくらいスポンサーの影響が大きいが。
オイラはオモロイと思うが、
一部の人からは、それによって芸術性が損なわれるという意見もあるかと思う。
小説の描写方法という意味では、
「その車(洋服・キャラetc.)がどの車種なのか特定できないように描写した方が、
読者の想像力を働かせることになるので、作家にとって有利である」
ということを、誰かが書いていた。
この手法だと、読者が自分の好みの車を想像するってことになる。
まぁ、ひとつの手法として、
作家から具体的に対象を提示するのか、
(1:リアルな臨場感、2:スポンサー関係)
それを読者の想像に任せるのか、
戦略的に使い分けるということになるのだろう。
スポンサーがつけば、翻訳家も潤うのでワルくないと思うが。
企業も小説というものを、広告に使える。
割り切ってもイイのではないか?
難しいかな???