「ルナティック 月夜 英国」というキーワードでネット検索したら、
6,090件もヒットした。
オイラがNHK教育の英語講座で耳にして、
その由来がオモロかったのでマエストロ掲示板に、
なんとなく書いたのだった。
それを読んだ村上春樹氏も、
これはオモロイと思って「1Q84」で取り上げた。
オイラの書いた他の数々の断片材料と一緒に。
それ以来、この言葉に魅了された人が大量に現れたようだ。
こんなに大量にこの言葉を使用する人が増えてしまうと、
もうこれからは安易に使えないほど陳腐な表現に落ちてしまったのかもしれない。
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(略)これにたいし、大人の世界では果然また、『軒もる月』の貧しい職工の妻が、
不可解な笑いとともに、それまで三様の思いを傾け移していた三者にたいし
唐突な激語(「殿、我良人、我子、これや何者」)を発するその前後には、
題名どおりルナティックな放心のさまと、
かつての奉公先で情けを受けたとおぼしき「殿」からの来信十二通を「残りなく寸断」して
手元の炭火に投ずる光景が寄り添ってある。(略)
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★「日本小説技術史」
渡部直己著 新潮社 3,400円+税 2012.9.30.第一刷
第三章 唐突な女たち ~樋口一葉の縫裁道具~ P.168より抜粋
この第三章の初出は、「新潮」平成20(2008)年12月号と巻末にある。
「1Q84」Book1は、2009年5月30日の発行となっている。
渡部氏がこの言葉を先に使っているが、知識人なので不思議はなかろう。
ネットの検索結果を見てみると、「lunatic」よりも「insane」を使うだろうとする人が散見される。
でもこの「insane」という言葉も、英語通でないとすんなりとは出てこないのではないか。
(辞書にはよく出るマークがついているが)
村上春樹氏は、当然ながら英語通なので、
だとしたら、どうしてオイラの文章をそっくりそのまま書いたのか。
故・河合隼雄氏との対談集を、「1Q84」より先に読んでいたのは幸いだった。
彼らは「書くことで、精神を病んだ人が救われないだろうか」と対談していた。
河合氏は、彼の専門である箱庭療法と同じく、その可能性が高いと語っていた。
村上氏は、当時オイラの書いていた文章から、その精神の危うさに気がついて、
放っておけなくなったのだろうと想像している。
オイラ自身にもそれはわかっていたし、まさにルナティックそのものだった。
書くことによって何かが救われるような気がして、
ただただ取り憑かれたようにブログを書いていたんだ。
だからこそユーモアを交えながら、オイラの書いたことを敢えて材料として小説を練り上げ、
オイラにわかるようにメッセージとして残したのだと思う。
「君ならこの意味を完全に理解して、感じることができるだろう」と、
彼はオイラの性格まで見抜いてた。
そういうことがわかったから、村上春樹氏には、もう完全に参ってしまったw
手慣れた読者を欺くためにプロットの壁を破り、
材料と材料とでストーリーを構成していき、
書いている本人も、この後どうなるのか不明とする手法。
ラスト・シーンまでに小説が破綻するリスクもあるけど、実にオモロイ書き方だ。
PS:村上春樹氏も、渡部直己氏も早稲田の文学部。
早稲田野球部の練習場隣には、東伏見稲荷があるという。
伏見稲荷つながりの、もうこれはものすごく不思議な縁だ。
早稲田の皆さん、オイラとの腐れ縁、どうか諦めてください(静笑)