いつもの書店に立ち寄って、いつものルートを歩いていたら、
そんな文言が目に入ってビビってしまった。
しかも、それを書いた著者は桑田佳祐なのだというから、大きなショックを受けた。
有名すぎて読む気もしなかった村上春樹の書籍を急いで購入して、
そそくさと書店をあとにしたが、
1階に下りてコーヒーを飲んでいても、タバコを吸っていても、
頭に血が逆流して、件の文言が頭の中をグルグルと回るくらいだった。
まさか、あの桑田がこんなことを言うなんて。
もう若造じゃねえんだから、この野郎、
明日にでも事務所に乗り込んでやろうかっ!
こんな奴、先輩でもなんでもねー(怒)
などと思っていたのだが。
それでも少し時間が経つと冷静になってきて、
どーにもこーにも、あの桑田が本気でそんなことを言っているとは思えない。
これはビジネストークなのであって、引っかけなのかもしれない。
そう思い直すと、居ても立ってもいられなくなって、
再び書店にもどって購入したのだった。
★「桑田佳祐 言の葉大全集 ~やっぱり、ただの歌詞じゃねえか、こんなもん~」
桑田佳祐著 新潮社 1,600円+税 2012.9.15.第一刷
そこには彼の楽曲方法が、リアルに赤裸々に語られていた。
彼は元々、曲から先に作るということで、
デビュー曲で「何を言っているのかわからない」という
あの強烈なインパクトは、そこから来ている模様。
曲が先で、詩が後なので、字余りになっちゃうらしいw
その当時は、自分の好きな洋物ロックバンドをコピーしたくって曲を先に作ったようだ。
途中、なんとか曲風に変化を持たせようと紆余曲折しているうちに、
詩を大事にしている仕事仲間が増えてきて、桑田は改心して行ったらしい。
今では作詞するのが一番楽しい。
「小説家の人達とも歌詞で勝負してやろうじゃん」と書いている。
桑田も永ちゃん同様、英語での作品づくりにチャレンジしたこともあったが、
今はもう無理をしないようだ。
日本人が英語で作品化するのは、なかなか難題なようだ。
逆に言うと、もしもそれをクリアできたら得るものはデカイ。
何が難しいって、日本語で作詞すれば翻訳した時に字数が変わる。
翻訳関連の情報にある様に、適訳がないこともある。
英語で作詞すればいいと言っても、普通の日本人ではちと厳しい話。
その他に発音もクリアしなくてはならないし、
なかなかどーして、かったるい。
なので可能な方法は、ある程度日本語で作詞して、
その詩をネイティブ翻訳に定評のある翻訳家に託し、
帰ってきたネイティブ英語の詩に曲をつける方法が、安全に思える。
発音はシャニムに努力して、クリアするしかなさそうだ。
PS:いつもエロイ詩ばかり歌う桑田であったが、
オイラの一番好きな曲は、永ちゃんの時と同様に不思議と「東京」なのだった。
この2つの「東京」を連続でカラオケに入れたりすると、
店内は「ズ~~ン」などと、とっても重たい雰囲気になるのだけど。
失恋でもした仲間がいるときに連続で歌うと、まず間違いなく泣くんだ、これが(笑)
彼もこの曲には思い入れがあるようで、次のように語っていた。
「この頃のバイオリズム的なことを言うなら、
『活字的に考えてみよう、文学的にやってみよう』
という感覚だったと思う。
これは『月』を書いたときに似た感覚かもしれないが、
だからこそ、ポップスの常套句みたいなものを排除しても
成立するだろうと信じて書き始めた。
レコーディングはコンピュータを排して、
各楽器の生音だけで録音している。
最初はもっとライトな感覚で、それが日を追うごとにヘヴィになっていった。
音圧的にも歪ませるところは大胆に歪ませている」
(同著 P.129~130より抜粋)
他にもオイラにはてんでわけわかめなのだが、他曲でコードの話も書いてあった。
その道のプロとか、目指している人には参考になるに違いないぞ。
PS2:大事なことを忘れていた。
彼は複数の文学作品をテーマにしての楽曲作りにも着手してみたようだ。
だけど都合18分の曲だってから、だれもカラオケできないっつーの。
詳細は、読んでのお楽しみ♪
だったら、アルバムでの完成を目指して、
それぞれ曲を分けて、クラシックのような並び構成にした方が遥かに面白いだろう。
これだったら、ロックアルバムがモーツァルトに化けるだろう。
源氏物語でこれをやったら、世界でもウケそうだ。
瀬戸内寂聴さんも帯書いてくれるだろうから、壺坂やってみろ。
あの源氏物語に手をつけるからにはな、
貴様のような向こう知らずな生意気さが、きっと必要なのに違いないぞ。
だってこれ、謙虚な奴には絶対にできない芸当だ(爆笑)