『坂の上の坂』を読む

kfjさん
kfjさん
藤原和博氏,と言っても株式投資とは関係の無い方なので,ご存じない方も少なくないとは思うが,とまれ同氏の新著。副題は「55歳までにやっておきたい55のこと」。現在6万部を売り上げているという。

同氏は,

はじめに 『坂の上の雲』から「坂の上の坂」へ

で,おおよそ次のようなことを述べる。

『坂の上の雲』の時代は平均寿命が短く,坂の上の「雲」を見つめ続けて仕事を全うすればあっさりと死を迎えることが出来たが,平均寿命が圧倒的に延びた今日では坂の上にさらに20〜30年の「坂」がある時代になった。私たちには過去と違う生き方が求められている。

そしておもむろに次のように記す。

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 実際のところ,「坂の上の坂」世代では,人生は大きく二分されていくに違いない,と想像しています。これからやってくる「坂」の存在にいち早く気づいて準備を始め,五十代から「上り坂」を歩む人と,残念ながら,ひたすら「下り坂」を歩む人です。
 もっと言ってしまえば,ますます「上り調子になる人」と,前の世代そのままの人生の価値観に支配され,惰性のまま生き続けて「落ち目」を迎え,寂しく死んでいく人です。(p.8)
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正鵠を射た指摘である。

四十代以降の世代にとって後半生をどう生き延びるのかは,言うまでもなく喫緊の課題である(とまだ自覚していない方は多分もう手遅れなので,横に置いておく)。

では一方,二十・三十代の方々にとってはまだ時期尚早かと言えばさにあらず。若い方は若い方なりに,「坂の上の坂」を意識するスタンスがあるように思う。つまり,身近にいる四十代以上の人たちが今後どういう人生の軌跡を描いていくのか,高みの見物をするのである

藤原氏の言う通り,「上り坂」や「下り坂」を各人各様に歩んでいくその様を黙って観察し熟慮すれば,ご自分自身の「坂の上の坂」に準備万端整えることが可能になる。

ただ「人生はタイタニック」である。つまり,人生航路を急には変更できないことには留意しておく必要がある。

「ああいうふうにやっていれば失敗するのか」と頭の先では知りつつも,理解が頭の先だけに留まり,頭の先より下は「ああいうふう」をそっくりなぞって自分も同様に痛い目に遭ってしまう。そういうことの無きよう,誠に僭越ながらご忠告まで。
(^_^)/

14件のコメントがあります
1~14件 / 全14件
kfjさん
> 国が墜ちるとき、登るときで国民の気質は変化していくようです。

なるほど。

以前米国に旅をしたとき,タクシーの運転手,移民と思しきドライバーたちは感じよく生き生きしているのに対し,偶々かも知れませんが白人ドライバーは概ね退廃のオーラを発し接客態度も良くなく,一度はぼったくられそうになり,

「おい,好い加減にしろよっ!」

と一触即発状態になりました。
jojuさん

 実は私も不器用なほうで、頭隠して尻隠さずになってしまうのです(--;

 上手くダブルスタンダードには出来ないのですよね。

 

 最近は、カメレオンの如く変わり身の早いヒトが増えてきたので、自分のような人間は生きにくいです。

 

 で、当方、一昔前は発展途上国の方と接することが多かったのですが、最近、日本人の行動パターンが一昔前の発展途上国の方々に似てきたな、と思う次第。

 逆に最近の発展途上国のヒトは、以前よりもモラルが高まってきたかもです。

 

 国が墜ちるとき、登るときで国民の気質は変化していくようです。

kfjさん
☆jojuさん

はじめまして。コメント,ありがとうございます。


> その行動は社会利益とも合致するようになります。

う〜ん,確かに正にそうですね。


> ダブルスタンダードな対処が必要なのでしょう。

前職在職中上司と派手にぶつかることが時にあったのですが,今にして思えばもっと巧妙に対応できなかったのか,と反省せざるを得ません。ただ如何せん,貧血気味で献血もできないくせに,血の気は人一倍多い野郎ですから……。
(^_^);;

jojuさん

上のご意見、全く同感です。

 損得を徹底追求すると、中長期でモノを考えるようになりますし、その行動は社会利益とも合致するようになります。

 

 問題は、自分の属す組織がそうでない場合(目先重視)の身の処し方ですね。

 この場合は、自身が反社会的なことに関わるのを慎重に避けつつ、ダブルスタンダードな対処が必要なのでしょう。

 

 転職困難な日本では、その組織が続くかぎり、もしくはトップが代わり方針が変わるまで、その組織内では目先重視の行動に合わせていくことが必要でしょう。

kfjさん
☆I SAY企画プロダクションさん

おはようございます。色々考えさせられるコメント,ありがとうございます。

先般,仕事で苦難が続く20代半ばの元同僚と話しをした際彼にアドバイスしたのは,「自分のやることが最終的に自分自身の損にならないよう,徹底的に損得勘定で考えて行動すればあまり判断を誤らなくて済むのでは」ということです。瞬間的に気分が晴れても,いずれそのツケが何倍にもなって確実に帰ってくることってありますよね。

古来,人はそれを

「運命のブーメラン」

と呼び,因果応報の例えとして若い者に教え諭してきました。(ウソ)

それはともかく,私が元同僚に話したことは図らずも,仰る

> 基準を持ち洞察して短期に欲を欲すか長期に目を凝らす

ということとほぼ同じ考え方だと思うのですが,如何でしょう。

若い時分に小金を稼ぎ夜の街に繰り出し羽振りよくさんざん遊んだ挙げ句に身体を壊し,バブルは弾け,尾羽打ちからして,生きがいも財布も寂しいままに後半生に突入という方を,何人か知っています。

敢えて突き放した言い方をすれば,人生の先々への目の凝らし方が足りないというか,浅慮のツケを払わされているということなのでしょう。

kfjさん、こんばんは。

一読させて頂きました、難しい事は解らないのですが。

人間は欲がある事は間違いありません。

しかし基準を持ち洞察して短期に欲を欲すか長期に目を凝らすかだと思います。

私が今まで人生で培った考慮では短期に歴史を考慮して即席に生きると

思いやりまで欲が踏みにじりの結果におもむき平和的な向上心が悲しみに移行する

傾向にあります、性善説の問題など深く考えると即席な人間はどうかと感じます。

私は幼い頃に身に染みる程に愚かな行為などを悲しんでましたので即席は疑問です

 

kfjさん
☆kaiさん

長大かつそれに相応しく色々考えさせられるコメント,ありがとうございます。 m(_._)m

> リアリティ・ショック

という言葉自体にもいささかショックを受けてしまいました。 v(^^);;  でも確かに仰る通りですね。

審美眼の大切さ,ブールジェの言葉等々,再度じっくり読み直して,再度じっくり考えてみます。どうもありがとうございました。 m(_._)m

こんにちは

 

株投資も、人生も、時代の変化~潮流を予見できなければ、落伍者になります。

 

やはり、審美眼です

 

 

 

 

貴方の審美眼が~大切です。。。  

 

 

 

多くの人は、程度の差はあれ、入れる高校・大学に行き、入れる企業に行き、与えられた仕事をこなしていくという人生を送っています。

子供のころは可能性の大きさに圧倒された人生も、この流れにいるかぎり、いつしか、前にある仕事のなかにのみ埋没していってしまう~。

自分が好きなことの世界でも、一度は夢見たプロをあきらめ、全国大会をあきらめ、県大会ですらあきらめたりして、趣味としてのそれも、やはりこの流れにいるかぎり、いつしか自分がそれを好きだったことさえ忘れてしまったりもする。

「今の自分にできること」を、ただ現実的に選び取っていく限り、人生は確実に理想から縮小してゆく~

私たちは、どうしたって現実の世界で生きていかないとなりません。

「今の自分にできること」を現実的に選ぶということは、多くの場面で必要になってくる。


ただ「今の自分にできること」を積み重ねていても、可能性は時間の経過とともに減っていきます。

それはまるで、うずまきの中に浮かぶ木の葉のような人生になります。

20代も中ごろを過ぎたあたりから、大切に守ってきたはずの可能性も、明らかに目減りしてくる。

 

 

山は~白銀 ~ の世界~

~   朝日を~浴びて~ ~飛ぶ ~

 

 

未来の自分の姿は~?

 

 

あるとき、ふと我に返って、自分が描いてきた理想は、どうやら自分には手に入らないという現実を直視すると、人は「リアリティ・ショック」におちいります。

この「リアリティ・ショック」乗り越えるために「現実的に考えれば、それしかなかった」ということに、ただ身をゆだねていくような態度は、まだ見ぬ理想のパートナーを待ちながら、年齢を重ねていくことに似ています。

まだ見ぬ~可能性を維持することも重要ですが、どこかで「ココ」を決めないとなりません。



「ココ」と決断する=難しさ



「ココ」を決めるということは、それを決めなければあったかもしれない他の可能性を捨てること(=機会費用を支払うこと)になります。

したがって「ココ」を決めるのには、心理的な抵抗を感じ、いわばマリッジ・ブルーのような状態になります。

ですが「ココ」と決めることは、まさに結婚と同様に、その後の可能性を減らしてしまうかわりに、
「ココ」へのコミットメントを強める。

いつまでも「ココ」を決めないということは、なにもコミットすることのない人生を生きるということで、そのような人生には、人としての成長がなくなる。


では~「ココ」はどこにあるのでしょう~?

趣味、勉強、仕事、人間関係・・・なんにせよ「ココ」は、いま自分が持っている手持ちのカードの中にしかありません。

そしてそれらは、放置しておけば一枚ずつ確実に減っていく運命にある


決めの問題~。

仕事であれば、毎朝、家を出るときに「自分は、今日の仕事でプロになる」と決めている人と「あー、今日も面倒だなー」と考えている人の間に差が生まれて当然でしょう。

しかし、ただ「ココ」と決めて、それに打ち込むだけでは、その分野で成長はできても、可能性が日々漏れ出していく状況は変わりません。

決めているだけに、どうしても視野は狭くなるので、ヘタをすると、ただボンヤリと生きているよりも、可能性カードの減りが早くなる危険性もあります。

縮小してく可能性を押し戻せるチャンスは、いつだって情報中から立ち上がってきます。

このとき、チャンスとなる「新たな提案」は、自らのイニシアチブによって取りにいかなくてはなりません。

そして自分に多くのチャンスをもたらすことができるような情報=コストは貴方の審美眼の中にあります。

貴方の審美眼が~大切です。。。  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


多くの玉石混合の情報の中より~仕分けして=選択集中をしなければなりません。

それこそが、自分の可能性を広げるために有効な数少ない投資先なのであって、これを怠る限り、うずまきの中に落ちた木の葉を拾い上げることはできなくなります。

大事にしてきた手持ちの可能性カードは、周囲の環境によって捨てさせるのではなく、自ら決めて捨てていくべきものです。

そして残すと決めたカードに日々集中し、そこに情報のレバレッジをかけて新たな可能性のカードを獲得していくことが、ただ一度の人生を主体的に生きるということであり、理想の縮小を終わらせるために必要なことなのでしょう。



自分の考えたとおりに生きなければならない。

そうでないと、 自分が生きたとおりに考えてしまう。


ポール・ブールジェ(小説家)







 

そうして手に入れた新たな可能性カードであっても、時に棚卸をしつつ、捨てるべきカードを選び、捨てる作業を止めてはいけない。

それが「自分の考えたとおりに生きる」ということであり、「自由であることの喜び」で満たすための唯一の手段となります。

 

そこに、人生の高揚感=達成感を、感じられる人生こそ

最良の人生となるのです。

 

 

 

 

kfjさん
☆rikakusenninさん

そうですか,やはりそれが現実ですか……。

渡辺淳一が『孤舟』に,わびしい生活を送る定年退職者を描いていますが,それ相応の調査に基づいた内容であるようです。

rikakusenninさんはそうではなかったご様子,さすがです。
kfjさん
☆みやまな鉄砲長さん

全く同感です。

精神科医の和田秀樹氏が,「車の整備に気を配るのはいつからが望ましい? 新車購入時からが一番良いに決まっている。同様に,身体の養生も,若く始めるに越したことはない」と述べていたことが印象に残っています。

人生の来し方行く末についても,早めに考え始め,しっかりとしたロードマップを作り,もちろんその都度修正を加えながら生きていければ最強でしょうね。
kfjさん
☆yoc1234さん

人生いつでもやり直しがきく,というのは,ごく限られた人のごく限られた転身であって,実際には年齢とともにやり直ししにくいことが増えていくのが現実だと思います。

その点,

> 小学校3年生ぐらいから6年生ぐらいまでにどんな人生観を持つか

によってその後の人生展開が相当程度に規定されてくるのは,正に仰る通りだと思います。その時期を保護者は丁寧に面倒を見る必要があるのでしょうが,その保護者自身が大人として親として成熟しないまま生きあぐねていることが少なくはないのが現状ですから,そうした親に巡り会ってしまった子どもは可哀想です。

大学設置数にしても全く同感です。

おはようございます

 

まことにもって、その通りですね^^;

老人ホームで入居者の様子を毎日みてますと、坂の上の坂が急なくだり坂で、厳しく寂しい坂になってる人がほとんどですね・・・・ →Orz///

 

10年先の自分のありようを見通して生きてきて本当に良かったです^^

こんにちはーkfjさん

難しいことはわからないですが、
「○○までにやっておきたいこと」系の本は、
それまでにやればいいではなくて早ければそれに越したことはないこと
ばかりだったりも。

昔に比べてトライすることが少なくなったひとが多いのかもしれませんわw
yoc1234さん

おはようございます。

 

なかなか含蓄のあるお話。

 

面白そうですね。

 

まさかという坂があるといった元首相がいますが。

 

おおむね、まさかということはなく、決まった坂を行くのは間違いない。

 

先人の歩んだ道を見て、自分で修正することは大事ですね。

 

自分は人生で一番大事なのは小学校3年生ぐらいから6年生ぐらいまでに

 

どんな人生観を持つかだと思っています。

 

そのころ、何になりたいかをよく考えることが大事かと。

 

最近の若い人みたいに全員大学に行き、大学院に行き、

 

好きでもない学問をやっているのを見ると疑問だらけです。

 

本当に学問が好きな人が行くのが大学院だと思います。

 

大学も定数を今の3分の一にすべき。

 

そうするといけない人が人生をじっくり考えるでしょう。

 

 

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