○ある程度の経済力,ある程度の社会的な尊敬,それに信頼できる家族や友人とそのネットワーク,その三つのありがたさが,歳を取るにしたがって身に沁むようになる。生活するための十分なお金がなく,社会的な尊敬もなく,また信頼できる家族も友人もいないという老人は,生きるのが非常にむずかしいだろう。
○多様化した定年後の人生は,おおまかに,2対6対2,という比率で,悠々自適層:中間層:困窮層,に分かれる。定年後すぐに生活が困窮する層が2割もいるということ自体,驚くべきことだが,あまり知られていない。…(中略)…メディアはよく「定年後をどう生きるか」という特集を組むが,実はその対象となるのはおもに「悠々自適層」に限られるのである。
○定年後,どの層の人生も決して楽ではなく,ときに絶望にとらわれる。だがいずれにしろ,財政破綻寸前の国家に頼りきるリスクは大きく,サバイバルの戦略と方法は個人にゆだねられている。希望は,自ら手に入れなければならない。
東京や大阪などに暮らす方々には,駅構内の「人身事故により……」のアナウンスや路上生活者の姿は,既に日常の一部になっているのかも知れない。
先般,日がとっぷり暮れた雨上がりの夕刻,山手線内のある地下鉄駅に向かう途中のことである。どこかから「ガン,ガン」という音が幾度となく響いてくる。一体何かと思いきや,公園と呼ぶにはあまりに狭い,花壇・木の植え込みにベンチが配置された道路沿いのスペースで,暗闇の中ホームレスとおぼしき老人男性が独り空き缶をつぶし続けていたのだった。その音が,今でも耳の底で響いているような気がしてならない。