8/5(金)日経夕刊1面下コラムに、桂三枝さんが書いていた。
7/23に例年500頭のところ、80頭余りで表題の神事が行われたそうだ。
犠牲者の鎮魂と復興を掲げて開催とあった。
偶然なのだろうか、
ちょうどオイラが読み終わった「御霊将門」に、
この相馬野馬追神事(そうまのまおいしんじ)のことが書かれており、
これも将門公に惚れた縁なのだろうかと、驚いている。
著者である高田崇史氏によると、
この相馬野馬追神事が実は、平将門公を起源としているというのだ。
元々は将門公が、野に放たれている馬を素手で捕まえる軍事訓練として始めたという。
将門公の死後400年を経て、末裔の相馬氏がその地へ移り住み奥州相馬氏となった。
その祭りは三日間に渡り行われ、本来は参加する騎馬武者600騎、見物人は総勢10万人に及ぶと。
三日目の最後に、小高神社境内にて裸馬を素手で捕まえて神社に奉納するのだが、
その時に地面に打たれた太い杭に裸馬を荒縄で繋ぐ、
野馬懸神事(のばがけしんじ)で幕を閉じるそうだ。
この馬をつなぐところが、
平将門の家紋である「繋馬(つなぎうま)」に由来していると高田氏は書いている。
この野馬追神事に参加している三つの神社(相馬中村神社・小高神社・太田神社)は、
古くは相馬の三妙見と呼ばれており、北斗七星に関係する信仰と絡んでおり、
熱田神宮近くにあり将門公の首を祀る「社宮司社(しゃぐじしゃ)」も、妙見信仰と。
★「QED ~veutus~ 御霊将門」
高田崇史著 648円+税 講談社文庫
最後の場面で明かされる、将門を調伏したという成田山・新勝寺が実は???
そして、将門公と不動明王との関係は???
将門公は、朝廷より命を受けた全国の神社仏閣から調伏祈祷を受けていたのだが
その真相は実は!!!
他にも、なんで稲荷は午の日に祭りが多いのかなどなど、
神社&歴史好きには堪らない歴史考証が満載なのであった。
あ~面白いったらありゃしない♪
PS:源義経公が好きな人は、平将門公のことも必ずや好きになるでしょう。
二人とも、現代でいったら「ケンシロー」ですな♪