昨日3月31日,25年間に渡った「昼間の仕事」を予定通り退職。今日からは,個人投資家と日本語教師を目指すという二足の草鞋を履くことになります。
皆さまとは別段関係の無い全くの私事ながら,今後ともよろしくお願い申し上げます。
昨日午前,勤務先関係の合同離任式なる行事に,内心「シーラカンス的行事,まるで時間の無駄」とぼやきながら渋々出かけた。しかし式は案外よかった。予想よりも早く終わったから。
その席上,定年退職するある女性校長曰く「37年間お世話になった」。私は思わずのけぞりそうになった。私自身25年でも相当長く感じているのに,その約1.5倍となると,悠久の時のようにさえ思えてくる。
さて私は,定年退職の「定年」を所与の条件と考え,人生の大きな区切りと考える向きがまだかなり多いことに違和感を覚える口である。
だって,ですよ。
地方公務員法が60歳定年制を定めた1950年,男性の平均寿命は59歳代。つまり定年を前後して当時の男性は亡くなっていた,その時代から60年が経過し人生80年という社会情勢になり,60歳定年制自体がそれこそ「定年を迎える」べき時代へと変化しているにもかかわらず,「60歳」という年齢がその存在感を全く失っていない……。
さらに「定」められた「年」とはいえ,その年齢策定の会議に少なくとも私は参加していない。全く赤の他人の,しかもとっくの昔に鬼籍に入られた木っ端役人が取り決めた枠の中で,なぜ私が自分の人生設計をしなければならないのか? そんな義理など全く無い。皆無である。
もちろん60歳を人生の区切りとして頑張る方はそれでよろしく,そうは思わない人も一方にいる,という自由さ加減が社会として健全なのではないか,という控えめな結論に留めておきたい。石が飛んできそうなので。 v(^^);;