金曜日の地震発生時、私はたまたま自宅で原稿を書きながらチャートに眺めつつアルジャジーラを聞いていました。
そして、地震。最初は8Fに住んでいることもあり、『まぁこの高さだとそれなりに揺れるね・・・もうちょっと書いて出社』程度に思っていたらどんどん揺れが大きくなる。その上、体験したことがないくらい長い時間ひたすら揺れ続けた。
携帯を片手に家を飛び出し、私の住んでいる8Fから下を見るとすでに相当数の人が外に非難している。私の住む練馬の光が丘は最も高い建物で35Fなので凄い人。かなり赤ん坊を抱えたお母さんが居た事、かなり寒かった上時間的にここから冷えてくることは間違いないのでカイロを一杯もって降りる。
同時に昨年の5月以来、『パニック相場が来たら必ずモノにする』と深く心に誓っていたのでここでUSD/JPYを買う。30銭も抜けたらOKか?ということで、25銭、35銭にリミット、5銭下げたところにストップをおいて全力買い。そして日経225のCFDをっ叩きうる。
降りてからカイロ配りまくってから100mほど離れた実家へ。超几帳面&35年間無遅刻無欠勤の鉄人といえる父は準備も超万端。本棚の本が一部散乱していただけで被害無し。余震も減ってきつつあり実家と自宅を何度か往復するが、それでもなお自宅に戻れない人が多い模様。私の住んでいる建物は14階建ての8階なのだが、目の前に25階建てが建っており、これはかなり恐怖だと感じた。そして、自宅に戻るたびにカイロを取り、ひたすら配る。たまたま私が隔週で温熱療法を受けていることもあり、寝るときに冬は首にカイロを張っているので大量にあったが、これが無くなるまで配ばりました。不安がある状態の時には寒さはさらに不安をあおるので少しでも気がまぎれればと思う次第です。
18:00以降はGBP/JPY、を叩き売る。どういう理由で下がっているのかこの時点で私も良く分かっては居なかったが、こういう時には大きく動いた側にしばらくはバイアスがかかりっぱなしになるので何も考えないで動きに任せる。と、どうじにこの場面で重要なのは『しばらく』はバイアスがかかりっぱなし故、『どこかで流れが変わる可能性も高い』という事だ。
この反転のシグナルになったのはAUD/USD、ここ数日で大きく下げていただけにいよいよ反転、この段階でGBP/JPYを決済し、EUR/USD、AUD/USDを買う。まさかEUR/USDが1.39すら超えるとは思っていなかったが月曜日は月曜日でまだまだ荒れる展開が十分に予想できるだけに、ここで一旦決済。昨年の介入を越える最大利益となりましたがあまり楽しいものではないだけに極めて感情の無いトレードでした。
私は現在仕事としてトレードしるので、今回のトレードも『業務に忠実な人』だったと思っています。特に地震直後に自身が避難している中でトレードし結果を残すというのは一種の『スーパープレイ』といえるでしょう。ただ、そんな業務をしているのも人間であり、相場で大きい利益を出すという言い方を代えれば『濡れ手に粟』ともいえる場面、そんな事に没頭していられるのも社会が平和だからこそです。
仕事としてはここは大きく儲ける場面であったと同時に、会社というのも人の集まり、心のある集団んでありたい。
今回の利益のうちの半分を今回の地震の被災者へ寄付しようと思います。
光が丘では建物の倒壊もなく、ガスが来ないくらいで今は普通に暮らせていますが、東北、北陸の方は本当に大変だったと思います。私は今回の様なパニック相場で大きく利益を出すこと自体は問題無いと思っています。相場においては行き着くところ、その時に示している値段のみが真実です。
USD/JPYの円高についてはパニックに乗じて売りさばいた人も居るとは思いますが、保険関連、狼狽売りも多かったのではないかと思っています。問題はここで叩き売った人よりも、こういう時にあんまりにも無策な政治にあると思います。どの国の通貨も大口のHFが短期の投機対象にしています。そして、そのことを織り込んで各国は対応しているのですが、日本はあまりにもこれが無さ過ぎる・・・。韓国のように黙って1年以上実は介入を続けるというのも『なんだかなぁ』とは思うのですが、それは自国の利益を維持するという意味では『実に大胆な国家防衛』を行っていたともいえるわけで、こういう時にこそ日本は『ゼロ金利政策』となる場面なのでしょうが、それすら昨年の10月になんか円高になってきたことでぶれてしまい行いました。(同時にこれは『これ以上金利をさげられない!』という宣言でもあり最後のカード、簡単に行うべきではない!)
また、民主党政権の仕分けによって、麻生政権で緊急に組んでいた耐震対策費4千億円。いつ来るかわからない天災に予算は無駄と、事業仕分けで高校無償化や母子加算手当に回していたのですが、こういうのには殺意を感じます。