元祖SHINSHINさんのブログ
忍者の履歴書
(略)江戸時代の藩士名簿を「侍帳(さむらいちょう)」という。
まずこの侍帳で忍者を検索したが、
果たして忍者の本名を記載した侍帳が存在するのか確信が持てなかった。
ところが、ネット上にそれを発覚できたのである。
岡山県は旧岡山藩池田家の侍帳を公開している(「デジタル岡山大百科」)。
そこに忍者の名前が載っている。
ネット社会となって忍者の実名までネット上で情報公開される時代になったといえよう。
ネット上の慶長十八(一六一三)年、宝永期(一七〇五年頃)、嘉永期(一八〇五年頃)の侍帳から、
忍者の数を数えてみると、
一六一三年六一人 → 一七〇五年頃一七人 → 一八〇五年頃十人
と激減している。
大坂冬の陣の前年に六一人いた忍者は、
その後、池田家の領地が減らされたこともあって十七人に減り、
幕末のペリー来航時には十人になっていた。
平和な時代になって、忍者は減ったらしい。
忍者の呼び名も伊賀者→忍衆→御忍衆と変化している。
慶長期は臨戦態勢で六一人のうち頭目二人しか名前は書かれていない。
しかし江戸中期からは忍衆全員の名前が侍帳に載っている。
これでは誰が忍者かわかってしまう。
天下泰平の中、忍者は忍ばなくなったようだ。
忍者の堕落といえるかもしれない。
ここで得られた忍者の実名をたよりに忍者の履歴書を探そうと、
私は意気込んで、早稲田大学中央図書館のマイクロ資料室に駆けこんだ。
研究名目を受付できかれ、「忍者探し」と答えようとしたが、やめた。
変な人と思われてもいけないから、研究者らしく岡山藩主の研究とした。
岡山藩主についてはほぼ全員の履歴書(奉公書)が残っている。
当然、忍者の履歴書もあって、都内でも早大等でマイクロフィルムの閲覧が可能である。
とうとう忍者たちが親子代々二五〇年書き継いだ履歴書が出てきた。
私は慌てて解読を始めた。(略)
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★「歴史の愉しみ方 忍者・合戦・幕末史に学ぶ」
磯田道史(いそだみちふみ)著、中公新書 740円+税 2012.10.25.初版
「忍者の履歴書」P.4~6より抜粋
この後わかったことが述べられていた。
*先祖は伊賀の出
*主君を変えるたびに名字を変えている
*銃に強く狙撃兵として徴用
*キリシタンや博打の捜査もしていた
*俸禄は玄米三〇石、今なら年収九百万円
*幕末には身辺警護、火の用心、宗門帳(戸籍)の非常持ち出し係
*明治二年、岡山藩・忍者廃止
いきなり出だしからオモロイ。
他の話もオモロすぎて、一気にすべて読めてしまった。
文体もユニークで、まるで玉蔵親分のような箇所が散見され、笑う。
笑ってしまうのだが、一つ一つのコラム内容は大変に奥が深く、感心するしかない。
磯田史は古文書調査に強く、古本屋などからいとも簡単にアタリ本を探り当てる特技がある。
また金繰りに苦労しても何でも、全国津々浦々調査に赴くという行動力がある。
この嗅覚と行動力、只者ではなかろう。
また「武士の家計簿」という磯田氏の作品は、映画化もされたという。
磯田氏の背後には、きっと見えない何かが憑いている・・・w
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dahltansさん、初めまして。
ええ、なかなかオモロイ話でしょ。
他にもオモロイ話がたくさんでていて愉快になりますよ。
彼の他の書籍も、もっと追ってみたくなります。
こういうオモロイ仕事をしているなんて、
磯田氏がうらやましい。
私はせめて、仕事があまりオモロクないのなら、
趣味だけでもオモロクして、
最期まで可能な限り、わがままに生きてやろうと思っています。
典型的なネコ型人間ですわw
元祖SHINSHINさん
はじめまして。
侍帳、とても興味深く読ませてもらいました。
危険な仕事の割りに下賤な身分とされているとばっかり思ってましたが、れっきとした社員名簿に載り、「玄米30石」の身分だとは意外、いまなら定めし専門職、技官のような感じですかね。