L is Bのニュース
波乱万丈な人生を歩む横井社長がL is B起業後にたどり着いた「現場」とは? 4,000社に導入される「direct」は建設業からOEMにまで展開
~新morichの部屋 Vol.10 株式会社L is B 代表取締役社長CEO 横井太輔氏~
福谷学氏(以下、福谷):本日も始まりました。
森本千賀子氏(以下、morich):昨日は大雨だったじゃないですか。こちらの会場はいつも人が入りきらないため、昨日だったら大変でしたね。
福谷:大変だったと思います。
morich:しかし、本日はピーカンです。みなさま持っていますね。
福谷:これもみなさまの日頃の行いだと思っています。本日はなんと「新morichの部屋」の10回目となります。これまでも素敵な上場企業の社長にお越しいただいていますが、本日も素敵な方をお招きしました。
morich:そうなのです。
福谷:実は、私は本日の朝5時まで大阪で仕事をがんばっており、始発の新幹線で東京に戻ったため2時間ぐらいしか寝ていません。
morich:つまり、ハイテンションなのですね。
福谷:本日のお話で気持ちよくなってしまっていたら、パシッとしていただければと思います。
morich:大丈夫です。
福谷:本日もたくさんのオーディエンスの方々に来ていただいています。
morich:ありがとうございます。
福谷:はじめに、morichさんの自己紹介をお願いできますか?
morich:本日が初対面の方もいるかと思いますが、私はもともと新卒でリクルートに入り、約25年、転職エージェントとして人と企業とのマッチングをずっと行っていました。私のクライアントは、いわゆるブランド企業や一部上場会社、グローバルカンパニーではなく、「これから本当に成長していくぞ」という企業さまに30年近く向き合ってきました。
ちょうど7年前に独立しましたが、転職エージェントは私のライフワークの1つであり、軸となるミッションとして継続しています。現在は組織のピラミッドの上のほうにあたる、CxOと呼ばれる方々のキャリアを支援しています。
それ以外にもソウルワークとして、スタートアップの組織づくりや採用を支援するほか、経営者の方々のメンタリングも行っています。やはりずっと順風満帆ではないですからね。
福谷:そうですよね、ビジネスですからね。
morich:山あり谷ありの時に「がんばって。落ち込んでいる場合じゃないでしょ」と元気づける母のように声をかけています。
福谷:「ベンチャー界のママ」とも言われているではないですか。
morich:おっしゃるとおりです。母あるいは姉として、スタートアップを支援しています。また、社外役員や顧問、アドバイザーなど、さまざまなキャリアのかたちがあるということを私自身が体現しています。
福谷:最近はmorichさんと一緒にお仕事をすることがかなり多くなりました。8月にもトークセッションを行うことになっています。
morich:だんだんと息が合ってきましたね。そういえば、最近は赤色の服を着ていることが多くありませんか?
福谷:そうですね。「morichです」という感じで着ていますが、違いますか?
morich:福谷さんが着ているような赤色ではなく、どちらかというとピシッとした赤色ですよ。
福谷:本日もオーディエンスに真っ赤なコーディネートの方がいらっしゃいます。
morich:いらっしゃいますね。私と少し被っています。
横井社長の自己紹介
福谷:それでは、本日のゲストをご紹介します。
morich:株式会社L is Bの代表取締役社長CEO、横井太輔さんです。
横井太輔氏(以下、横井):よろしくお願いします。
morich:ようこそ、いらっしゃいませ。私は今週も1週間、情報のシャワーを浴びて、調べ尽くしています。本日は横井さんの魅力を紐解き、みなさまにお伝えしていきたいと思います。まずは簡単に自己紹介をお願いします。
横井:株式会社L is Bの横井です。今から14年前に当社を立ち上げ、紆余曲折ありましたが、おかげさまでなんとかやってきました。また、2024年3月26日には東京証券取引所に上場することができました。
morich:おめでとうございます。それでは、幼少期のお話からうかがいます。今ではイケメンのすばらしいビジュアルでいらっしゃいます。
横井:ぜんぜんそのようなことはありません。私はビジュアルではなく、トークで売っているのです。
morich:トークですか。確かにポッドキャスティングも行われています。
横井:3年ぐらい前からラジオ番組を行っています。毎週月曜日の夜8時から30分間、文化放送で「L is B presents 現場DX研究所」という番組を担当しています。
morich:とても流暢にお話されています。
横井:すでに100回を超えています。
morich:そうでしたか。声がとても良いですよね。
横井:よく言われます。ありがとうございます。
morich:地方局のアナウンサーのようです。
福谷:昨日は私もいろいろとシャワーを浴びてきました。先ほどまで、会場には先日のラジオ番組が大音量でずっと流れていました。
横井:ありがとうございます。トークで売っています。
morich:トークが強みということで、もともと大阪生まれなのですか?
横井:そうですね、生まれだけは大阪です。
morich:関西弁がまったく出ていないですよね。
横井:親戚一同、みな関西の人ですが、私は生まれて間もなく関東に来たため、まったく出ません。
morich:その親戚の数がすごいことになっているのですよね。
横井:母親が10人きょうだいで、父親が7人きょうだいのため、お年玉をたくさんもらいました。ちなみに母親は末っ子で、一番上の伯母と私の母親とは20歳も離れています。
morich:そうなのですか。
横井:私が幼稚園ぐらいの時に、従兄姉はもう大人になっていたため、おじいちゃん、おばあちゃんについての記憶はほとんどないのです。
morich:そうなりますよね。関西に親戚のみなさまがいるのであれば、関西のおじちゃん、おばちゃんから「太輔、太輔」と呼ばれて、にぎやかだったのではないですか?
横井:おっしゃるとおりです。それが良かったですね。関西弁は話せませんが、マインド的には関西です。
習い事で多忙な幼少期に身についたこと
morich:「幼少期にバイオリンを習っていた」というフレーズがすごく響きました。「いいとこの坊ちゃん」ではないですか?
横井:そうなのです。「いいとこの坊ちゃん」なのです。
morich:私と同じ世代ですよね? 1970年生まれですか?
横井:morichさんのほうがお若いじゃないですか。
morich:いやいや、私も1970生まれなのですよ。
横井:そうなのですか? びっくりしました。1個お姉さんですね。
morich:1個上だから同世代ですね。
横井:バイオリンといえば「しずかちゃん」が弾いていたイメージです。
morich:弾いていましたね。「ドラえもん」の「しずかちゃん」です。わかりますか?
福谷:それはわかります。
横井:私は3歳から中1まで、バイオリンを習っていました。
morich:それはけっこう本格的ですね。
横井:いやいや、私は中1で諦めました。私の息子たち2人は大学生まで習っていましたよ。
morich:ちょっと待ってください。息子さんは2人ともバイオリンを習っていたのですか?
横井:そうですね。上は今23歳ですが、ミュージシャンなのです。
morich:本当ですか。プロのミュージシャンですか?
横井:おっしゃるとおりです。配信を行っています。
morich:バイオリンをけっこうメインに取り組まれていたということですが、あまりスポーツなどはされていなかったのですか?
横井:いやいや、野球やボーイスカウトもしていました。
morich:かなり忙しかったのではないですか?
横井:今より忙しかったと思います。私は中学受験をしたため、水曜日・金曜日・土曜日・日曜日は学習塾にも通っていました。
morich:小学生の時ですよね。それはめちゃくちゃ忙しいですよ。
横井:学習塾に行って、ボーイスカウトに行って、土曜日は学習塾の後にハシゴして野球も習っていました。水泳も習いましたし、とにかく母親がいろいろなことを詰め込んでいましたね。
morich:その当時から今も続いているものはありますか?
横井:何一つありません。それに何一つ身についていません。
morich:そのようなものですよね。私も長男に同じような感じで習わせていたのですが、何も身についていません。
横井:身についたものといえば、例えば「バイオリンを演奏中の横井太輔は、このようなキャラクターにならなくてはいけない」と考えており、野球に行くと別のキャラクターになっていましたね。
morich:発表会もありますしね。
横井:バイオリンの場合は上品な子の中にいるじゃないですか。しかし、野球はわりとそうではない子の中にいました。そのため、いろいろなコミュニティーの中で自分のキャラクターを使い分けていましたね。
morich:小学生にして、すばらしいですね。
横井:それが営業に活きましたね。
morich:なるほど。どのようなキャラクターにでもなりきれるということですね。
横井:おっしゃるとおりです。真顔で嘘をつくことができます。
中学受験後の苦労とアルバイトに励んだ高校生活
morich:そのようには見えません。とても誠実な感じです。野球はずっと続けていたのですか?
横井:中学校まで続けていました。高校でも野球部に入ろうと思ったのですが、私の高校は創立2年目で甲子園に出ているような学校だったため、入部しませんでした。
morich:どちらの学校ですか?
横井:同級生には、東京ヤクルトスワローズにドラフト3位で入った度会博文選手がいました。今年、その息子さんが横浜DeNAベイスターズの新人になっています。他にも、同じクラスにソウルオリンピックの銀メダルリストがいるような、体育会系の学校でした。
morich:あえてそこに行きたかったわけではないのですか?
横井:違います。
morich:気が付いたらそこにいたのでしょうか?
横井:先ほど中学受験をしたとお伝えしましたが、その時にけっこう勉強しました。その中学校は県内でもトップの進学校で、東大に何人も行くようなところだったのです。1学年に235人いましたが、附属小学校から附属中学校に上がるため、欠員分のみ外から入れるかたちでした。
つまり、すごく狭き門です。その学校を受験し、入学することができました。内部から上がってきた生徒たちは、外部から入ってきた私に「外部生って頭が良いんだね」と言うわけです。「外部から来た人はすごく頭が良いんだ」と思われていました。
morich:受験するということは、だいたいそうですよね。
横井:狭き門をくぐっていますからね。「みんなバカなんだ」と思って、なんの勉強もしないでいました。
morich:油断していたのですね。
横井:おっしゃるとおりです。一切勉強しなかった結果、最初の中間テストが235人中230番だったのです。これはひどいなと思いました。
morich:本当ですか? それでは内部生もすごく頭が良かったのですか?
横井:頭が良かったですね。そこから勉強しましたが、200番以内になかなか入れませんでした。
morich:本当ですか?
横井:みんな、ものすごく頭が良かったです。
morich:それは中学校、高校共にですか?
横井:いや、中学校までです。附属の高校はなく、また大学があるというかたちでした。
morich:つまり、高校はまた受験されたのですか?
横井:そうですね。ただ、中学受験でけっこう苦労したため、高校受験は大学の附属校のみを受けようと考えました。首都圏に住んでいたので、東京の大学に行こうと附属高校を受けた結果、ことごとく全部落ちました。行くところがなくなったため、仕方なく2次募集を実施しているところに行ったという経緯があります。
morich:そうだったのですか。別に野球をしたかったわけではないのですね。
横井:野球部に入ると365日中、360日は練習があるような学校です。そのため、野球部に入るのはやめておいたのですが、その学校は厳しく、全員がなんらかのクラブに入らなくてはなりませんでした。
morich:そのような学校はありますね。
横井:それで、一番楽なクラブが落語研究会だったのです。
morich:高校にして落研があったのですね。
横井:落研は週2日、6時間目の授業がある日のみ参加していました。つまり、事実上は帰宅部です。その落研の先輩に女優の田中美奈子さんがいました。わかりますか?
morich:わかります。
横井:芸能活動があるため、部活にあまり出られないということで落研に入られていました。
morich:落研は真面目に取り組まれたのですか?
横井:アルバイトをしたかったため、真面目に取り組むはずがありません。
morich:今のキャラクターは、もしかしてそこで培ったのではないかと思いました。
横井:まったくそうではありません。でも、先生を笑わせれば帰って良いという部活でした。
morich:なるほど。「座布団1枚」のようなイメージですね。
横井:おっしゃるとおりです。うまい謎かけを作ると帰ることができました。
morich:おもしろいですね。それを必死で考えていたのですか?
横井:考えましたね。そして早く帰って、アルバイトをしていました。
morich:ポッドキャストでも、ロッテリアでのアルバイトについて話されていましたね。
横井:当時、ロッテリアは時給520円でした。
morich:実は私の大学生の長男がアルバイトをしているのですが、今はなんと時給1,500円です。
横井:当時はロッテのカフェテリアで「ロッテリア」でした。
morich:ロッテの持ち物だったのですか?
横井:そうですね。返事はすべて「ハイ、サンキュー」と言わなくてはならず、軽い衝撃を受けましたね。はじめにビデオを観せられて「社会はこうなっているんだ」と思いました。
morich:それを3年続けられたのですか?
横井:そうです。時給520円から半年間がんばって、時給530円になりました。
morich:それはかなり過酷ですね。
横井:そこでがんばってお金を貯めて、ラフォーレ原宿でDCブランドの服を買っていました。
morich:流行の服を買っていたのですね。私たちが学生の頃は「DCブランドをいかに買えるか」という時代でした。今はみんな「ユニクロ」ですけどね。当時はアルバイトをして買っていました。
アメリカへの憧れからキャリアをスタート
morich:大学進学についても教えてください。
横井:大学受験の頃、私は高校の友達と非常に仲良くなっていました。また、アルバイトばかりしていましたから、普通に受験してもやはり落ちてしまいました。母方の家が起業していたため、そこで働くようなこともぼんやりと考えていました。
morich:起業家一族で、最終的にはそこもありかなと思われていたのですね。
横井:当時は円高不況が始まった時期でもありました。
morich:プラザ合意ですね。
横井:私はプラザ合意の後に訪れた就職氷河期の1期生か2期生ぐらいです。1995年、1996年だったと思います。
morich:おっしゃるとおりです。その2個上、3個上の方々は、全員採用という年代でした。
横井:バブル入社ではそれが基本でしたよね。
morich:そうですよね。ホテルなどで入社式が行われていました。
横井:そのような状況だったため、親族の会社へ行ければいいと思っていたのですが、その頃に格安航空券のニュースを見かけました。HISという会社から、日本からロサンゼルスまで往復6万5,000円くらいのチケットが発売されていたのです。
私の記憶では、当時は1ドル250円ぐらいでした。「世界まるごとHOWマッチ」というクイズ番組が放送されていたのですが、知りませんか?
morich:昔ありましたね。
福谷:聞いたことがあるような気がします。
morich:私たちは知っていますが、福谷さんは知らないと思います。
横井:そこで「1ドル250円で計算してください」というお題がありました。それが半額の1ドル120円台になり「これは安くなった」と思い、アメリカに行ったのです。その後も、アルバイトをしてお金を貯めては、グレイハウンドというバス会社のチケットを買って、バックパック1つで全米をひたすらまわり続けました。
morich:そのような大学生だったのですか。行き先はアメリカなのですね。
横井:アメリカが大好きでした。
morich:他のエリアには行かなかったのですか?
横井:ヨーロッパも「ユーレイルパス」というものを買って、列車で廻りましたが、アメリカばかり行っていましたね。
morich:とにかく縦断、横断しながら、いろいろなエリアに行っていたのですか?
横井:お金がなく、ホテル代を浮かすために夜行バスに乗って移動していました。バスの中で寝て、朝着いたら観光し、シャワーを浴びて、また次の都市に行く生活です。東海岸に行って、また帰ってくるということを延々と繰り返していました。
morich:それは、やりたいことがあったからですか?
横井:アメリカといえば戦争で負けた国で、「なるほど!ザ・ワールド」などのテレビ番組で見ていた世界でした。ですから「グランドキャニオンを見たい」「イエローストーンを見たい」と思い「地球の歩き方」という本を買って、とにかく全部行こうとしていました。
morich:実はそこも共通点なのです。私も大学時代、ことあるごとにアメリカへ行っていました。グランドキャニオンもその1つです。
横井:グレイハウンドに乗っていましたか?
morich:乗っていました。
横井:同じところにいたかもしれませんね。
morich:ニアミスだったと思います。
横井:当時は1人旅の女の子、男の子がけっこういましたよね。
morich:いましたね。そこで恋に落ちるみたいなこともありました。
福谷:そうなのですか。
横井:私はそのようなことをずっと続けていました。
morich:「将来はこうしたい」といったことは、漠然と考えていたのですか?
横井:途中からカリフォルニア大学デービス校(UC Davis)に半年間留学しました。長らくアメリカかぶれで、留学中に英語も話せるようになり「アメリカで働きたい」と思ったのです。
morich:「永住できるといいな」と思われたのですね。
横井:グリーンカードを取ってアメリカで働きたいと思っていました。お金を貯めて、春休みと夏休みにアメリカに行くような生活をずっと続けていました。
morich:休みはほとんどアメリカにいたという感じですか?
横井:そうです。その間はアルバイトをしている状態でしたね。
morich:いつかはアメリカで仕事をしようと考えられていたのですね。
横井:おっしゃるとおりです。「アメリカの会社で仕事をしよう」と思って就職活動をしました。やはり氷河期だったため、日本の会社はほぼ受けずにアメリカの会社を受けました。そして、今は日本から撤退してしまっていますが、アメリカのシティバンクのグループ企業に入ったのです。
当時のオーナーはシティバンクではなく、自動車メーカーのフォード・モーター・カンパニーが親会社でした。そこでクレジットカードのマスターカードを発行したり、フォードの自動車ローンの審査をしたりしていました。
morich:そこへは新卒で入ったのですか?
横井:新卒で入りました。ただ、すぐ辞めましたね。理由は父親が食道がんになり、それがけっこう重たかったからです。
母親から「病院の先生のアナウンスを聞くのが怖いから、あんた聞いて」と言われ、そのうちに「家族のこんな時ぐらいは、ちょっと1回そばにいよう」と思ったことがきっかけです。それで1年と少し経った頃、25歳で辞めました。
morich:ある種、介護のようなことをされていたのでしょうか?
横井:介護というよりは、病院の付き添いをしていましたね。
morich:めちゃくちゃ良い息子ではないですか。仕事を辞めるという選択は、22歳、23歳ではなかなか難しいと思います。
横井:そうですね。ただ、親の会社があるので「いつかは辞めてもいい」と思っていたこともありましたね。
第2新卒としてジャストシステムに入社
morich:その後、会社を継ぐことはなかったのですか?
横井:親戚がたくさんいるため、継ぐことはありませんでした。その頃に偶然テレビで、NHKスペシャルの「新・電子立国」という番組を見る機会がありました。それは「これからはコンピューターの時代です」という番組で、第1回目が「Appleパソコン対IBMパソコン」だったのです。
第2回はOSの話でMicrosoftが登場し、第3回はアプリケーションの話で、Macの上で動く「VisiCalc」という表計算ソフトと、IBMパソコンなどWindowsの上で動く「Lotus 1-2-3」というソフトが紹介されました。その時に、日本にも実はそのような会社があって、NECパソコンの上で動く「一太郎」というものがあるのだと知りました。
morich:その時に初めて知ったのですか?
横井:そうです。そこでジャストシステムを受け、第2新卒として入社しました。
morich:あの時のジャストシステムは、本当にMicrosoftのようになるのではないかと感じるくらい、飛ぶ鳥を落とす勢いでしたね。
横井:そうですね。ジャストシステムは四国の徳島県に本社があるのですが「徳島詣で」といって、「一太郎」のバージョン変更に合わせてハードウエアの仕様を変えるために、ハードメーカーがみんな来ていました。
morich:横井さんも徳島にいたのですか?
横井:私は東京にいましたが、東京と徳島を行ったり来たりしながら働いていました。
morich:そのような時代ですか。
横井:当時はパソコンを選ぶ時に、Windowsの「Word・Excel」モデルか、あるいは「一太郎」モデルかというほど、ソフトウエアがキーとなっていました。
morich:そのような選択肢でしたね。
横井:プリインストールといって、最初からパソコンの中に特定のソフトウエアが入っているのですが、「一太郎」モデルが圧倒的に売れていました。
morich:私も卒論はWindowsではなく「一太郎」で作りました。やはり「一太郎」が日本語にすごく適していましたよね。
横井:そうですね。「Excel」の力がすごくあったため、ジャストシステムは負け始めた時に「Excel」に代わる表計算ソフトとして「三四郎」を出しました。
morich:それは知らないです。
横井:「一太郎」と「三四郎」です。
morich:わかりやすいですね。
横井:「花子」というグラフィックソフトもありました。
morich:「花子」は覚えています。
横井:また、「Access」に対応するデータベースソフトで「五郎」というのがありました。笑われてしまいますが、本当にあったのですよ。けっこう企業に売れていました。
morich:きちんとマーケティングしてから名前を考えた感じですか?
横井:そもそも「一太郎」はどうだったかと言いますと、創業者の浮川社長がワープロソフトを作っている時に、学生時代に家庭教師をした太郎君のことを思い出して連絡したそうです。ところが、太郎君がその直前に心不全か何かで若くして亡くなっていたということで、太郎君を偲んで付けた名前なのです。
morich:そうだったのですか。
横井:「どうせ『太郎』だったら日本一の『太郎』になれ」ということで「一太郎」という名前にしたということです。
morich:そのような感動的なエピソードがあるのですね。
横井:そうなのです。ジャストシステムという会社の名前は「大き過ぎず、小さ過ぎず、ちょうどいいサイズのシステムを提供しよう」ということで付けられました。
福谷:なるほど。
morich:知りませんでした。すみません。
横井:私は何の話をしに来たのでしょう。
量販店の店頭で培ったマーケティング力
morich:その中での役割やミッションはどのようなものだったのですか?
横井:最初はパッケージの営業です。ヨドバシカメラとか、ビックカメラのような量販店に行きました。新宿のヨドバシカメラでは法被をお借りして、ずっとお店で販売応援をしました。
morich:そうなのですね。
横井:万引きを捕まえたこともあります。
morich:本当ですか? そんな人いるのですか?
横井:います、います。「Adobe」の箱にシュリンクが貼ってあるじゃないですか。それをカッターで切ってCD-ROMだけ盗む人がいて、私と別のメーカー担当者の2人で捕まえて、店員に差し出しました。
morich:大活躍じゃないですか。企画なども担当されていたのですよね?
横井:お店にずっといるのですが、私はジャストシステムの社員として行っていても、お客さまはジャストシステム製品以外も買うわけです。
morich:そうですよね。
横井:他社の製品の知識もないと接客できないということで、店員と化していたわけです。値付けも、品出しもしました。
福谷:なるほど。
福井:そうすると、お客さまが何を求めて、どのように買うかわかってきます。
morich:さまざまなことを聞いてきますしね。
横井:そうです。パッケージソフトを持ってレジに向かって一歩踏み出した瞬間を見ていますので「どのようなソフトウェアが売れるのか」という意見を社内で言えるのです。
morich:体感できているのですね。
横井:意見を伝えると、みんなが呼んでくれるようになりました。そこで「これからはパソコンソフトもソフト売り場だけではなくて、さまざまなところへ出て行こう」ということになり、新規チャネル開拓の部署を作れと言われて、私はパソコン教室を開拓したりしました。
その後、幼稚園と保育園のマーケットがすごいということがわかったのです。当時、幼稚園と保育園には、少子化対策交付金が園児1人あたり20万円くらい出ていました。
morich:助成金ですね。
横井:あの人たちは、教育を生業としているSOHOです。
morich:なるほど。
横井:予算会計のため、補助金を使い切らないと次の年はもらえませんから、けっこういろいろなビジネスをしていたのです。
morich:おそらく、ITの会社は誰もそこを狙っていないですものね。
横井:そうなのです。保育園や幼稚園向けに「ジャストクレヨン」という専用のパッケージを作りました。「一太郎」をそのまま売るのではなくて、園のお便りなどを作ることができる専用のものです。「ジャストホーム」という8,000円のパッケージと、「ラベルマイティ」という6,000円のパッケージがあって、そこに幼稚園向けのテンプレートを付け19万4,000円で売ったのです。
morich:めちゃくちゃ高過ぎませんか?
横井:でも、そうしないと幼稚園業者が担いでくれないのです。
morich:そういうことですね。
横井:幼稚園はすごく閉鎖的です。チャイルド本社やフレーベル館など、絵本業者の幼保大手6社というのがあって「ジャストシステムです」と言っても、幼稚園は入れてくれないのです。
morich:「なんじゃ、それは?」と。
横井:ちょうど池田小学校の事件があったため、不審者扱いされて入れないのです。
morich:ありましたね。ガードが堅かったのですね。
横井:そうなのです。その人たちが面の営業をしているため、売ってもらわないといけません。その人たちが売りたい金額にしないと売れないということです。
morich:マネタイズなども決めていかれたのですね。
横井:1年で1,500の幼稚園と保育園に売れました。
morich:そうですか。すごいですね。
横井:幼稚園にパッケージを19万4,000円で売った後、毎月5万5,000円をもらいます。
morich:ものすごくマーケティングにも長けているという話ではないですか?
横井:ビジネスをやりたかったのです。
morich:商売ですね。
横井:ジャストシステムの歴史は、脱「一太郎」の歴史なのです。「一太郎」という、ものすごく潤沢に水が出る井戸が掘れたのです。ヒット商品を持っている企業は本当に注意したほうが良いのですが、ヒット商品があると営業はダメになっていくのです。
morich:わかります。
横井:営業しなくても売れるので、営業マンではなくてオペレーターになるのです。さばくのが仕事になって、営業マンといっても売る努力などはまったくしなくなります。
morich:しなくても売れちゃいますものね。
横井:そのとおりです。私は「一太郎」を売りたくなくて、自分で作ったものを広げるために営業していました。
初めてのロシアで独占販売権を掴むまで
morich:そのような大活躍をされて、社長のカバン持ちもしていらっしゃいました。
横井:そうです。取り組みが評価されて社長室に異動となり、社長のカバン持ちをしました。
morich:おそらく、後継者的な感じですよね。
横井:いえいえ、そんなこともないですが、社長のカバン持ちなどをさせていただいたのです。
morich:その頃から起業など考えていたのですか?
横井:まだぜんぜん考えていません。ジャストシステムというのは、浮川社長と専務である奥さまのご夫婦で経営されており、この2人を幸せにするための会社だったのです。私たちも「幸せになっていただきたい」と思っていました。
morich:なるほど。そのようなマインドセットになるのですね。
横井:そのとおりです。良い会社だったため「このお2人を幸せにしたい」と社員みんなが思っており、全員が満足していたのです。なぜかというと「やりたい」と手を挙げた人になんでもやらせてくれる会社だったのです。
morich:本当に良い会社の条件だと思います。
横井:ジャストシステムの「一太郎」が、ワープロシェアNo.1でワープロソフトのシェア8割を持っていても、ワープロソフトはソフトウェア全体の6パーセントしかありません。その中の8割を取ったところで、94パーセントのマーケットに手を出していないということです。
当時のパソコンソフトのマーケットのカテゴリは、「ウイルスバスター」や「ノートンアンチウイルス」「マカフィー」などのインターネットセキュリティが半分を占めており、いくらワープロでNo.1でも、全体で見るとこのようなものです。
morich:広がりませんよね。
横井:「それならここをやりたい」と思い開発者に「作ってくれ」と言いましたが、開発の人たちは「なんでそんなものを作るんだ?」と言いました。徳島の開発者は優秀ですが、東京の事情があまりわかっていなかったのです。
morich:なかなか見えないですよね。
横井:作ってくれないなら買ってこようと思って、私はロシアに行って調べたのです。
福谷:すごいですね。
morich:アメリカではなくて、ロシアですか。あったのですか?
横井:「カスペルスキー」を知っていますか?
福谷:知っています。有名な話だと思います。
morich:失礼しました。
横井:「カスペルスキーアンチウイルス」という検知率No.1のものがあって、日本ではまだそれほど導入されていなかったのです。私はアメリカばかりへ行っていて、ロシアは1回も行ったことがありませんでした。
ロシアに行ってみたいので、自分で企画書を作り、メールで連絡したら「1回、説明に来い」と言われて、モスクワに行くことになりました。マイナス26度のモスクワで「寒い、寒い」と言っていたら「アイスクリームを食べろ」と。
morich:何ですか、それは?
横井:「アイスクリームは5度あるから暖かい」と。
morich:暖かく感じるんですか?
横井:いや、ぜんぜん感じないですよ。カスペルスキーさんに会って「ジャストシステムはこのような会社で、日本でビジネスするならうちと組んだほうがいいからやりましょう」と言ったら、「いいけど、独占はダメだ」ということでした。
morich:なるほど。専売はダメだということですね。
横井:「one of themだったらいいよ」というのに対して「せっかくやるんだったら、私たちも本当に力を入れてやるから独占がいい」と言いましたがダメでした。それで日本に帰ったのですが、やはり諦められなくて、藪内さんという上司を連れて、もう1回ロシアに行きました。
挨拶のため裏面が英語の名刺を出して「My name is Shoji Yabuuchi」と言うと、ロシア人がみんな「プッ」と笑うのですよ。
morich:なぜでしょう。
横井:「えっ? なんか藪内さん、笑われてますよ」と言ったら「いや、そんなん横井、そらお前、気のせいや」「笑われてるじゃないですか」「いやいや、気のせいや」というやり取りがありました。
morich:名前を見て笑われるのですか?
横井:そうですね。名刺交換するとみんなが笑い、少し恥ずかしそうな顔をするのです。そして最後にカスペルスキーさんが出てきて「My name is Shoji Yabuuchi」と言ったら、カスペルスキーさんがその名刺を見て財布に入れたのです。
morich:なぜですか?
横井:「これは俺のお守りだ」と言って。
morich:「ヤブウチ」に何かあるのですか?
横井:「ヤブウチ」は、ロシア語で「絶倫」という意味だったのです。
morich:私は今、どこに落ちがあるのか、どこに向かっているのかちょっとわかりませんでした。
横井:「はじめまして。絶倫です」と言われて、「お前ら、おもろいな」となり、「じゃあ、独占販売権でいいよ」と決まりました。
morich:えっ、本当ですか? 藪内さんグッジョブですね。
横井:そのようなものなのです。日本で独占販売権をもらって「ワールドビジネスサテライト」などに出していただいたり、「News23」に出していただいたりして、ぐわっと伸ばしたのです。
morich:そうですか。まさかその話はできないですよね。
福谷:そうですね。そのようなことがありました。
「失敗してもいいから、空振り三振で終わりたい」
morich:30代半ばにしてターニングポイントを迎えたそうですね。
横井:そうなのです。仕事が楽しくて、2時、3時まで働いていたので、タクシー代は1カ月で30万円くらいかかっていました。青山にある会社から家まで1万5,000円くらいで、文句を言われたらやめようと思いましたが、言われなかったので続けていました。
その頃、会社の健康診断を受けました。検査後なかなか名前を呼ばれず、診察室に入ると、医師が私の胃のレントゲン写真を壁に貼り「ここ、ガンだから」と言ったのです。紹介状を渡され「今すぐ大きな病院に行って検査しなさい」ということでした。
morich:いきなり断言ですか?
横井:そうです。「もう、これはやばい」ということで病院へ行きました。家の近くの千葉大学医学部附属病院で呼気の検査など、いろいろな検査を受けました。
morich:おいくつでしたか?
横井:36歳です。そこで胃の悪性リンパ腫と診断されました。
morich:胃がんということですか?
横井:胃がんではなく血液のがんです。胃原発の悪性リンパ腫です。その時に初めて「ああ、人って死ぬんだな」と思いました。私はけっこう仕事も楽しくしていましたし、何の不自由もなかったのですが「ああ、死ぬんだ」と。
morich:それはショックですね。
横井:当時はスマホなどありませんから、病院ではずっと本を読むか、テレビを見るか、天井のしわを数えるしかないわけですよ。
morich:みなさま、よく言いますよね。
横井:天井のしわを数えながら「そういえば、もう死ぬんだったら『あれやっときゃ良かったな』と思って死にたくないな」「失敗してもいいから、空振り三振で終わりたい」と思って、そこで初めて「何をしたいか」と考えました。
浮川社長のそばでカバン持ちをしたり、事業を作ったりしてきたので、何か会社を興してみたいと思ったのです。
morich:そこでそう思ったのですね。
横井:「じゃあ、何で会社を興せばいいんだ?」ということから始まるわけです。
morich:そうですよね。
横井:そこから始まって、悶々としていた時にiPadが登場しました。
morich:2010年ですね。
横井:「これだ」と思いました。先ほどお伝えしましたが、ハードウェアとソフトウェアの関係で言いますと、ソフトウェアというのはハードウェアが変わるとガラガラポンが起こるわけです。もうPCソフトの時代ではないと思いました。ネットワークを介してアプリケーションを買うようになるだろうと。今はパソコンソフトを箱で買う人はいません。
morich:それは、入院中に思ったのですか?
横井:復帰して仕事をしている時です。
morich:悶々としながら「やっぱり、このままじゃダメだ」と?
横井:そうですね。準備などもしていましたが「何をやるか?」というのは、本当に紆余曲折いろいろありました。ドイツのセキュリティソフト会社からスカウトもされました。
morich:カントリーマネジャーですね。
横井:ゴールデンウイークにドイツまで行きました。
morich:オファーを受けられて。
横井:そうです。事務所まで決めたりしていたのです。
morich:でも、やはり起業だと?
横井:しかし、何で起業するかという問題がありました。私はジャストシステムで企画部署を全部見ていたのですが、そのメンバーの中に、絵が描けて、コードが書けて、企画ができる天才がいました。今も当社の社員ですが、その人と「企画100本ノック」をしました。
morich:おもしろいですね。
横井:毎日、就業後に会議室にこもっていました。iPadのアプリを100個考えられたら、それもきちんと事業になりそうなものが100個考えられたら事業を起こそうということで、毎日取り組んでいました。
当時は「Twitter」の第1次ブームで、孫さんが「Twitter」で「何かやります」などと発言していました。
もともとジャストシステムなので言語解析ができますし、ツイートを解析してピッタリはまるイラストに変えるとおもしろいのではないかと思いました。「Twitter」はテキストのため文字を読みますが、文字を解析して、それがイラストになったらおもしろいと考えたのです。
morich:広告表示的なかたちで?
横井:そうです。例えば「喉が渇いた」というツイートがあった場合、それをコカ・コーラの広告に変えられるわけです。
福谷:おもしろいですね。
横井:「お腹すいた」というツイートをケンタッキーフライドチキンの広告に変えて、そのままお店に持っていってクーポンとして使えたら良いですよね。
morich:おもしろい。売れそうですよね。
横井:おかげさまで、まだスマホが10数パーセントの普及率だった頃に、50万ダウンロードを獲得しました。
morich:すごいですね。
横井:ヒット後、英語版を作りました。そして、Btraxという企業がアメリカのテクノロジーギーク向けに行っていた「SF New Tech Japan Night」という日本のスタートアップのプレゼンテーションイベントに参加しました。
morich:ピッチイベントのようなかたちですね?
横井:そうです。それに声をかけてくれたのがグッドパッチの土屋さんです。土屋さんは当時アメリカにいらっしゃって、Btraxのインターンでした。
morich:そうだったのですか。
横井:急にアメリカからメールが来たので、最初はだまされているのかと思いました。そこで一緒に登壇したのがChatworkでした。
morich:山本さん?
横井:お兄さんのほうですね。面白法人カヤックもいました。そのような中で優勝したのです。
morich:すごくないですか?
横井:今もYouTubeにありますが、ダントツで優勝したのです。すると、アメリカの投資家が私の前にずらっと来て、表彰される時にステージに上がれないくらいの列ができました。そして、アメリカに進出することになりました。
カナダのケベック大学モントリオール校と提携して、英語版とフランス語版を作り、英語版を翌年にシンガポールのEchelonというイベントでデビューさせました。その後ぐんと伸び、マレーシアともう1つの国でアプリランキング1位になりました。「LINE」や「Instagram」より当社のほうが上だったのです。
morich:本当ですか? 「LINE」や「Instagram」よりも上ですか?
横井:2012年はずっとランキング1位だったのです。
morich:そのアプリケーションはどうなったのですか?
横井:「あ、これはいける」と思いましたが、資金調達はまだしていなかったのです。
morich:いけますよね。
横井:それが2012年6月ですが、その2ヶ月後にTwitter社が「これ以上サードパーティのクライアントアプリは認めない」と発表したのです。
morich:制限されたのですか?
横井:「解析はいいけれども、クライアントアプリはダメ」ということになりました。クライアントアプリはユーザーの一番フロントにいるからお金になるじゃないですか。それまでJack Dorseyは「エコシステムを大事にしましょう。みんなで盛り上げてください」と言っていたのに「TwitBird」や「ついっぷる」などあったのが、全部ダメになっています。当社もダメになりました。
morich:それは衝撃的ですね。
横井:そうなのです。だから、プラットフォーマーに依存するビジネスをすると。
morich:リスクが高い。
横井:そうです。彼らが「ダメ」と言った瞬間、終わってしまうのです。
morich:終わりますね。
横井:そこで、どん底になりました。
morich:なるほど。それは起業後ですか?
横井:それは2012年のことで、起業したのは2010年です。
morich:「それでいくぞ」と思っていたら。
横井:ダメになりました。それまでは、私がスタートアップの集まりに行くと、みんながうわっと来ていたのに、そのニュースが出た瞬間、私の前をみんなが避けるのです。
morich:本当ですか? わかりやすいですね。
横井:メディアの人たちも仲が良かったのに、誰も何もしない、目も合わせない、「あ、横井が来た」というような感じになりました。
morich:世の中は冷たいですね。
横井:でも、そんなものですよね。とあるVCからは「あれ? お宅、まだ自社サービスやる気なんですか? 受託で終わる会社ですよね?」というようなことを言われました。
資金繰りに苦労しながらも受託ビジネスが軌道に
morich:でも、助けてくださった会社もあったそうですね。
横井:そうなのです。そのニュースを見ていた某企業で、NTT東日本というのですが。
morich:そんなに大きな会社が?
横井:当社のアプリを作ってくれないかと言われたのです。
morich:うれしいですね。
横井:そうなのです。Twitterアプリは絵なので、当社は絵が描けますし、提案書も絵がすごいのです。
morich:楽しそうですね。
横井:そうすると、ものすごくウケるわけです。NTTは難しいことを難しく伝えるのがうまい方々です。すごくお上手じゃないですか。
morich:より難しくですね。
福谷:配信されていますけど、大丈夫ですか?
横井:難しいことを難しく伝える。
morich:そうですね。
横井:私たちはそれを絵に落としたり、文字はほとんど使わないで、私のしゃべりと資料だけで提案したら「君ら、おもしろいね」ということで、NTTの社内システムの中の発注先リストに当社が入ったのです。
morich:すごくないですか?
横井:そうなのですが、やはり、吹けば飛ぶような会社なので、仕事をいただく時は必ず帝国データバンクが来るのです。
morich:そうですか。「大丈夫か?」と調べられるわけですね。
横井:それをかいくぐりながらお仕事をいただくのです。当時、受託というのは経験がありませんから「要件定義書とは何ですか?」というところから始まりました。ジャストシステムは受託などしていませんからね。
そこから始めて、なんとか食いつないでいきました。通帳の残高を見たら5万8,000円だったことがありました。社員9人で5万8,000円です。お金がなくなるたびに、親戚のところに行って「折り入ってご相談があります。お金を貸してください。1,500万円くらいです」と頼みました。
morich:親戚の人数が多くて良かったですね。
福谷:たくさんいますからね。
横井:その1,500万円が入っても、3ヶ月、4ヶ月で燃えるわけです。なぜなら、お客さまからの売上は後から入ってくるからです。
morich:受託の場合は先ですものね。
横井:間違っているはずがないのですが、通帳記帳に行った後に検算していました。検算して、シャープペンシルで線を引いて「あ、合っているわ」と確認していました。「今月は、またこんなに減ってしまった」というお金の苦労がありました。
morich:ヒリヒリ感満載ですね。
横井:半年ぐらい自分の給料は取れませんでした。社員のみなさんにはジャストシステムの時の給料はそのまま保証しました。当たり前ですが、給料の遅延は1回もありませんでした。
morich:もう「集めて」ということですね。
横井:それはもう人生かけました。
morich:親戚様様ですね。
「LINE」のように誰もが簡単に使えて、セキュリティが高いものを
横井:いや、本当にそうです。かき集めていましたね。そして、売上が入るようになった時に、とあるお客さまからご紹介をいただきました。
その内容は「社員にスマホを配りました。会社支給のガラケーをスマホに変えたのです。みんなに配ったのですが、メールと電話とパズドラしかしていません」というものでした。
「ぜんぜん使いこなしてくれないので、おたくで何か使えるアプリを提案してほしい」という依頼でした。現場の人に話を聞きに行くと「なぜ電話で仕事をさせるのか」「PCでいいですよね」「電話だろう、これ」と言われました。「まあ、そうですね」と答えました。
morich:確かにその時はそうですよね。
横井:「『Excel』と電話でいいじゃないか。でも『LINE』なら使える。今、キャバクラに行ったらこうするんだぞ」と言われました。
morich:「ふるふる」ですね。
横井:昔は赤外線がありましたよね。「みなさん『LINE』を使いたいとおっしゃっています」と情報システム部門に伝えると「それはよいが、みんな個人にアカウントが紐づいている」と言われました。
morich:それはリスクですよね。
横井:そうなのです。その人が転職すると、社内のやり取りを全部次の会社に持って行けますからね。結果的に「おたくで『LINE』のように誰もが簡単に使えて、セキュリティが高いものは作れないの?」と言われました。
morich:言っていただいたのですね。
横井:「作れないことはないので、ちょっと調べましょう」ということで、調べてみたら特許などもぜんぜんなかったため、チャットを作りました。しかし、その会社は受託がメインで、隙間時間に当社のエンジニアとPC版だけ作ってみましょうということで作ったものでした。
「LINE」は無料ですし、売れる代物ではないと思っていたため、その会社とは受託でお世話になっていましたので、受託のやり取りの延長で行っていました。
morich:延長線でということですね。なるほど。そうですよね。「『LINE』があるからそこに勝てるなんて」と普通は思いますよね。
横井:ただ、当時の「LINE」はまだ今ほどすごくはなかったですし、「Chatwork」も今ほどぜんぜん名前は轟いていませんでした。「ヤフーメッセンジャー」などの時代ですよ。
morich:ありましたね。
横井:そのような時代だったので、当社とやり取りしていたお客さまから「すごく便利だね」と言っていただきました。そのことを社内の情報システム部門の中で少しだけ広げていただきました。
morich:やってみようということですね。
横井:すごく便利だと言っていただきました。「これをもし御社でご採用いただけるとしたら、あと何の機能が足りないのか教えてください」ということで、例えば「ユーザー管理はこのようなものが良い」とか、「セキュリティはもっとこのようにしたほうが良い」とか、使い勝手からセキュリティなどの情報漏えいのリスクも含めて、お客さまに鍛えていただきました。
morich:そうでしたか。
横井:私たちは「売り物ではないけれども、受託でお世話になっているから」という感覚だったのです。
morich:本当の意味での「ティーチャーカスタマー」ですね。
横井:そうです。もうまったく売るものではないと思っていましたが、取り組んでいるうちにだんだん良くなってきたのです。その時に「Twitter」アプリの時にお世話になっていた「TechWave」というメディアに「今度はこのようなことをしています」とお話したら、取り上げてくれたのです。
morich:そうでしたか。
「Microsoftがしないことをしよう」と「現場」にたどり着く
横井:メディアに取り上げられたことで、多くの問い合わせが来ました。一番大きなお客さまはドン・キホーテでした。
morich:確かにみんな現場にいるからパソコンなど使えないですものね。
横井:そうです。しかし、当時は現場とは言っていなくて、単に「企業向けのメッセンジャーが出ました。『LINE』よりもセキュリティが良いです」というような話でした。ドン・キホーテは店舗の上に本部があるのですよ。
morich:昔、担当していました。
横井:例えば、本八幡店の上には情報システムがあります。私は西葛西店で「このようなものです」と担当の方にチャットを見せました。すると「ちょっとトライアルをしましょう」ということで試してもらうことができました。
2週間ぐらいすると担当部長から「上司に会ってほしい」と連絡がありました。「もっと大きく入れるかもしれない」と言われて、中目黒に呼ばれて行くと、社長が出てきたのですよ。
morich:驚きますね。
横井:いきなりです。そして一斉導入していただきました。
morich:全店でですか? すごいじゃないですか。
横井:全店どころか海外も全部ですよ。
morich:本当ですか?
横井:さらに、ドン・キホーテには取引先が当時3,000社ぐらいあり、当社も仕入先と繋がりたいので、仕入先とつながる仕組み作りの相談に乗ってほしいとお願いしました。もともと受託でいろいろなシステムを作れるため、ドン・キホーテと一緒に、当社の「direct」というサービスに、商談ができる「direct商談システム」という仕組みを作り、ドン・キホーテが取引先に売るというかたちをとって、ガーッと伸びていきました。
morich:そうすると、取引先も「これ良いじゃん」となりますよね。
横井:そうです。そのようなことをしている時に、インターネットイニシアティブ(IIJ)という会社から声がかかりました。IIJは「IIJ GIO」という自社のクラウドサーバーを持っています。
当時、当社はAWSで動かしていたのですが、これを「『IIJ GIO』に移しませんか?」と提案していただきました。私はそろばんを弾き「たぶん、ここに移せばサーバー代が安くなるだろうな」と思いました。
morich:そういうことですよね。
横井:「良いですね」ということで話を進めていました。しかし、当社のエンジニアに「横井さんはエンジニアではないのでご存知ないと思いますが、AWSとその他のサービスは、メジャーリーガーと草野球ぐらい違いますよ」と言われました。今はどうかわかりませんが、当時はそのように言われて「そうなんだ」と思いました。
morich:「Amazon対その他」ですものね。
横井:そうです。「それをここに移植することはできるけれども、しないほうが良い」ということでした。黒字経営を目指していますので、お金がないことが怖かったこともあり、当時はまだ9名で運営していました。
morich:そうだったのですか。
横井:「この人数でこのサービスができるのはAWSだからですよ」とエンジニアから言われて「あぁ、なるほど」と思いました。結果的にIIJにはお断りをしたのですが「でも、君たちと何かいろいろなお付き合いをしたい」と、出資してくださったのです。
morich:そうだったのですね。初めての出資ですね。
横井:初めての外部資本はIIJだったのです。
morich:それは信用力がつきますよね。
横井:それによって、私はIIJの営業網を手に入れることができました。IIJは日本の上場企業で取引していないところがないほどの企業です。そこで、IIJの営業のドアオープンツールとして、私が営業マンに同行しました。なぜなら、当社の営業部門には私1人しかいなかったからです。
morich:当時ですね。
横井:みんな開発者ですので、私が一緒に全国を回りました。
morich:でも、その時はすでにいろいろなチャットツールが出ていましたよね?
横井:まだ2014年ですから「Chatwork」はありましたが「Teams」もありませんし「Slack」もなかったですね。したがって、おもしろいように売れていきました。
morich:でもやはり、デスクワークのところで使うのではなく、そのフィールドワークで使うのですか?
横井:いや、最初はデスクワークでした。前職で「一太郎」はMicrosoftにケチョンケチョンにされているのですよ。
morich:そうでしたか。
横井:Microsoftと戦って勝てる会社はないので「Microsoftがしないことをしよう」ということで、現場という考えにたどり着きました。
morich:確かに、そうですね。
横井:日本の企業でMicrosoftを嫌いな人はほぼいませんので、Microsoftがしないような手間のかかるところに対応しようということになりました。現場といえば、IIJが竹中工務店を紹介してくれました。これも導入まで2年ほど通いつめましたので大変でした。竹中工務店が導入すると、大林組でも導入されるのです。
morich:あそこはけっこう横展開ですものね。
横井:一気に導入されて、現在、日本の売上高ランキング上位20社のうちの17社で使用されています。
morich:ゼネコンでですか? すごいですね。
横井:もうほぼ標準です。
morich:ほぼ独占ですね。
エンジニアにも好評な「9週間ルール」
横井:さらに「direct」は、現在4,000社に導入されています。
morich:確かにゼネコンはサブコンもありますし、多重構造なのでどんどん伸びていくということですね。
横井:そうです。4,000社に売れていますが、そのうちの1,000社は私が売りました。
morich:えっ、本当ですか?
横井:今も年間80回出張しています。先週の月曜日、火曜日は福岡にいました。
morich:まさか現場に行っているのですか?
横井:そうです。ヘルメットをお借りして、建設現場の事務所は顔認証なのですが、私も顔で認証されて竹中工務店の現場などに行っています。
morich:確か「9週間ルール」でしたっけ?
横井:そうです。「direct」は9週間ごとに新機能が実装されているのです。
morich:すごいことですよ。9週間ごとにですものね。
横井:もともとは6週間だったのです。最初の1週間でお客さまのご要望を仕様にまとめて、次の3週間で開発します。ここまでで4週間になりますよね。次の1週間でテストをして、最後の1週間でアプリストアなどに並べる準備をするというかたちでした。
この6週間ルールで新機能をずっと実装していたのですが、機能が多くなってきた上に、エンジニアが疲弊してきたのですよね。
morich:6週間ですからね。それは辛そうですね。
横井:当社のエンジニアはけっこう優秀なのですが、会うたびに疲れていたため、2週間延ばして8週間ルールにすると伝えました。しかし「8週間ルールにするけれど、本当にそれで良いの?」と聞くと、「やはりインプットする時間も欲しいです」と言われたため「それでは9週間にしよう」ということになりました。一応、8週間では出すことはできます。
morich:1週間はエンジニアに少し休憩をということですね。
横井:「価値ある1週間」という名前にして、この1週間は何をしても良いし、報告する義務もありません。遊んでも良いし、旅行に行っても良いし、技術負債を返しても良いし、勉強しても良い。「何をしても良いよ」という時間を当社のエンジニアにプレゼントしています。9週間ごとに必ず1週間、自由な時間を与えています。
morich:今もですよね?
横井:今もですね。
morich:9週間でアップデートするプロダクトはあまりないですよね?
横井:大きなアップデートは9週間では当然できません。ただ、9週間ごとにバスを出発させていると「次のバスに乗せよう」「その次のバスに乗せよう」などという計画を立てられます。9週間ごとに何かをしないといけませんので、小さなアップデート改修のようなものも含めて9週間ごとに必ず出すようにしているということです。
福谷:なるほど。
建設業だけでなくOEMにまでサービスを展開
morich:4,000社ということは、もう建設業界だけではありませんね。いわゆる現業だとするとどのようなものがあるのですか?
横井:建設業界は全体の6割ですね。残りの4割は、例えばみなさまご存知のところで言うと、羽田空港の第2ターミナルなどですね。ANAの飛行機に乗るところや、整備するところ、また指令を出すところなど全部が当社の「direct」になります。
morich:そうですか。
横井:テレビ朝日の報道部門と系列26局は全部「direct」です。
morich:そうなのですか。運輸とか物流もですか?
横井:運輸、物流もそうですし、ダスキンも全社です。また、リーガロイヤルホテルもJR西日本も全社です。
福谷:すごいですね。
morich:これは、コミュニケーションツールという話だけではないということですか?
横井:コミュニケーションツールにプラスしてタスク管理などもできます。加えて、やはりセキュアであるというところですね。
morich:では、もうマルチプロダクト化ということですか?
横井:そうです。おかげさまで、かなりそのような感じになっています。チェンジという会社をご存知ですか? チェンジは当社の株主でもあります。
morich:ふるさと納税の会社ですよね?
横井:そうです。社長は福留さんです。その子会社であるトラストバンクに実は当社がOEMしています。
morich:そうなのですか?
横井:「direct」をOEMして、「LoGoチャット」という名前になります。ご存知ですか?
morich:知っています。もともとの創業者と私はママ友達なのですよ。約1,500自治体のうち、確か1,200か1,300ほど入っていますよね。
横井:「LoGoチャット」は当社のものになります。
morich:本当ですか?
横井:当社が作り、チェンジにOEMし、そしてそれがトラストバンク経由で全国の自治体に導入されているのです。
morich:そうだったのですね。「ふるさとチョイス」というふるさと納税のインフラを提供しながら、実はその上に自治体とつながる、いわゆるインフラを押さえているというものですよね。
横井:それは当社の開発なのですよ。
morich:すごいですね。そうでしたか。では、OEM開発などもしていらっしゃるのですか?
横井:そうです。例えば、全国の信用金庫ですね。「〇〇信金」というのは、北海道から沖縄まで253金庫あり、それを束ねているのが京橋にある信金中央金庫です。そこにOEMしており「信金direct」という名前で、彼らのプロダクトとして全国の信用金庫に販売いただいています。
morich:そうなのですか。では、信金の営業マンの方はあれを持っているのですね。
横井:ただし、全国の信金の全部に入っているかはわかりません。そこはもう信金中央金庫のプロダクトになりますので、私の記憶だと50金庫か60金庫にはもう使っていただいているという状況です。
morich:もうある種、コミュニケーションインフラを押さえて、これを2階、3階と積んでいかれるのですよね。どのような構想なのですか?
横井:チャットに取り組めば取り組むほど思うことは、データベースなのですよ。しかも、業務で使うチャットは「おはよう」「おやすみ」の挨拶チャットではありませんよね。
morich:「LINE」であればまた違いますが、挨拶チャットではないですね。
横井:建設現場には「あそこをなんとかしておいて」「あれ片付けておかないと危ないよ」などの、是正指示という業務があります。写真を撮って「ここはこうしなさい、ああしなさい」などと指示した情報が当社の「direct」の中にあります。
おそらく日本で一番、建設現場の情報は当社が持っていると思います。竹中工務店だけで全国に1,000現場ぐらいあり、その全部に導入されています。
morich:毎日のやり取りが入っているのですね。
横井:また、国内だけではなく、日本のゼネコンは海外進出もしています。例えば、シンガポール・チャンギ国際空港は竹中工務店や清水建設が作っています。「direct」はその現場で使っていただいていました。
当社のチャットは、お客さまが協力会社さまを招待して使うようになっています。したがって、その中に情報資産がたまっていますので、今はその情報資産を活用した次のビジネスを実行しようとしてます。
morich:すごいですね。
横井:だから今はまだ、株が安いと思います。このようなことは言ってはいけないのですよね。
morich:そうですよね。インサイダーにはならないですかね?
福谷:公開されていますけれどね。
「社員のみなさんはお客さまのために」「社長である私は社員のみなさんのために」
morich:やはりすごいと思ったのは、組織なのですよ。私はリクルートにいましたので、そこに注目したいのですが、離職率がとても低いですよね?
横井:そうなのです。みんな辞めませんね。
morich:本当に辞めないですよね。
横井:90人の会社で去年は3人でした。
morich:それは寿だったりという理由ですか?
横井:1人は寿退社で、1人は青年海外協力隊に行きたいという方でした。その方はソロモン諸島からメールをくれます。
morich:それはもう「行って来い」ですよね。
横井:ずっと行きたいと悶々としていましたので、「行っておいで」と言いました。
morich:何か工夫をされているのですか?
横井:いいえ。
morich:なぜでしょうか?
福谷:このような大切なお話の最中なのですが、お時間が来てしまいました。
morich:本当ですか?これは必ず聞かなきゃと思っていたのですが、やばいですね。
福谷:次回の日時を決定しても良いですか?
morich:もう、おもしろ過ぎてすみません。時間を忘れていました。今日お聞きしたいことを2枚用意してきたのですが、1枚で終わってしまいました。2枚目の内容をまだぜんぜん聞けていないのです。
これは言っておきたいのですが、みなさま「L is B」は何の略か知っていますか?
福谷:調べましたよ。
morich:病気になられたことがきっかけということでしたよね。
横井:「Love is Break」ですよ。
morich:ちょっと違いましたね。それではやばいですからね。
福谷:「みなさまの夢」を、何といえばよいのでしょうか。
morich:ちょっと惜しいような、惜しくないようなというところですね。
福谷:「みなさまに夢を提供したい」「いろいろな人たちに何かを提供したい」ということをお調べしたつもりです。
morich:そうですね。「Life is Beautiful」ですよね。
横井:私は、死にかけた経験があるのでね。
福谷:そうですよね。私は今36歳なのです。
横井:ちょうど同じ年なのですね。
福谷:私の母も同じような病気で、私が1歳の時に亡くなっていますので、私もどのような人生を歩んでいかなければいけないのかを、すごく考えさせられました。いろいろなビジネスの作り方やマーケティングの作り方など、人としてのあり方のようなところがすごく勉強になりました。
成功されている方は「運が良かった」とよく口にされます。これは、単に運が良かったということではなく、きちんとしたそれなりのストーリーがあり、生き方があり、そのようなことが重なって、運に近づいていると言いますか、運に出くわしているのではないかと思っています。
横井:私は社員のみなさんに「みんな何のために働いているの?」と聞いています。自分と家族の幸せのために働いているのであって、私のために働いているわけではないのですよ。
「果実をきちんと分けましょう」ということと、「会社は自己実現をきちんとできる場である」ということを口だけではなく、きちんと提供していかなければ人は集まってこないと思っています。
運で言うと、「こっちに行きたいな」と思った時に、それに適した人が現れるのですよね。
morich:量子力学ですね。引き寄せということですものね。私もやはり社員満足なくして、顧客満足はないと思っています。
横井:私は「社員」ではなく「社員のみなさん」と必ず言っています。「社員のみなさんはお客さまのために働いてください」「社長である私は社員のみなさんのために働きます」といつも言っていますね。
morich:それを本当に体現されていますよね。
横井:松阪牛を贈ったりしています。
morich:松阪牛ですよ。
横井:全社員に創業記念日に贈っています。
morich:これは本当に主婦は喜びますよ。奥さんは絶対に喜びますよね。
横井:「ご家族で食べてください」という意味合いもありますよね。
morich:すばらしいですよ。
福谷:すばらしいです。ということで、そろそろお時間が来てしまいました。次回も続きがしたいので、またお越しいただきたいと思います。非常に学びになったお話でした。
今後もmorichの部屋は続いていきますので、次回のゲストについても楽しみにしていただければと思います。本日は、お越しいただきありがとうございました。
morich:ありがとうございました。
横井:ありがとうございました。
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