金融緩和の袋小路に迷い込んだEU 第1回

著者:矢口 新
投稿:2016/08/08 18:14

英国バッシング

 英国人は6月23日の国民投票でEUを離脱すると決めた。EU離脱投票直後は、「今後数年間で英国のGDPを最大4.5%押し下げる」、「グレート・ブリテンの落日」、「長期没落の始まり」などと言われていた。また、残留派には怒りや無力感が、離脱投票した人たちのなかには、「ブレグジット・ブルー(うつ)」が広がっているなどとも言われた。しかし、テリーザ・メイ新首相が「年内には離脱交渉を進めない」と宣言してからは、幾分、英国バッシングは落ち着いてきたようだ。

 当初の英国批判は、ほとんどがデータに基づくものではなかったが、投票後の経済指標のなかには明らかに悪化したものが出始めた。それらを受けて、BOEは2009年3月以来となる利下げを行い、政策金利を史上最低の0.25%とした。

参照:主要国の政策金利の推移
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 もっとも、これまで7年以上も、それまでの史上最低だった0.50%に据え置いていたのは、英経済に利上げできるほどの力がなかったからだ。仮にEU離脱決定がなければ、利下げがなかったかどうかは疑わしい。とはいえ、離脱決定が利下げを速めたことは疑いがない。

 私は、英国のEU離脱は長期没落の始まりなどではなく、むしろ残留していれば長期没落となっていたと見ている。EU離脱により、短期的な落ち込みは避けられないが、長期的には没落を逃れる可能性が高まったとみている。このことはつまり、EUが、このままでは没落すると見ていることを意味している。

 アンチEU政府の比率は、英国でよりも、むしろフランスやギリシャで高いとされている。そして、英国の離脱決定により、フランスなどによる離脱ドミノが起きる可能性が出てきたという。だとすれば、英国バッシングは、沈みかけの泥船からいち早く逃げた英国に対する、裏切られた思いや、羨望からきていることになる。英国は目先の困難を承知で離脱できたわけなのだ。

 EUはもともと、第2次大戦の勝者と敗者でありながら共に疲弊し、戦後の米ソ対立の中で埋没することを恐れたフランスとドイツが、将来の統合国家を目指したところから始まった。当時は世界国家という考え方があり、国境をなくして1つの国になれば、少なくとも平和になれると思われていた。「平和と自由を欧州全体に広めるべきだ」、「欧州統合でしか世の中は良くならない」との理念だ。

 ところが、2016年6月23日の国民投票では、英国人の51.9%がEUからの離脱を望んだ。このことは一方で、48.1%の人がEU残留を望んでいたことになる。報道によれば、その多くは欧州統合を望んでいた。

 では、離脱を決めた人々は、欧州統合を望んでいなかったのだろうか? そうとは限らない。欧州統合を望んでいても、統合がもはや現実的ではないとすれば、夢から醒める必要がある。また、どんなに素晴らしくても、実現性のない夢を追いかけることが大きな犠牲を伴うのなら、諦める必要があるのだ。

英国人は間違えたのか?

 スコットランド行政府首相がEU残留を決断したとして、独自にEU政府に加盟を働きかけた。一方で、フランス、スペインなどは、独立国ではないスコットランドの加盟交渉は、資格がないとして反対している。特にスペイン政府は、カタルーニャ地方やバスク地方といった、スペインからの独立を望む地方を抱えているので、下級政府による独自の外交は認められない。

 また、EU離脱に失望した英国人が、アイルランドのパスポートを得て、EU市民に戻ろうと殺到していると報道された。メディア報道によれば、英国人たちは離脱支持投票を深く後悔しているとされている。

 では、英国のEU離脱は間違いだったのだろうか? あるいは、2000年からのユーロへの不参加が、そもそもの間違いの始まりだったのだろうか? 

 では、欧州統合への夢を追い続けるドイツとアイルランド、一方そこから距離を置き、独立した経済政策を持つ英国の失業率の推移を見てみよう。

 2005年の時点で、アイルランド経済のファンダメンタルズは、ユーロ圏で最も良く、失業率は4.4%だった。当時のドイツの失業率は11.2%だ。これが、米国のサブプライムショック、その約1年後のリーマンショックで一変する。

参照:独愛英の失業率の推移
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 サブプライムショックという米国発の住宅バブル崩壊の影響は、欧州では英国、アイルランド、スペインなどで大きかった。FRB(米連銀)は即座に利下げを敢行、BOE(英国銀行)も1カ月遅れで利下げした。一方でECB(欧州中銀)は1年後にいったん利上げし、利下げはリーマンショックを待ってからだった。
(上記、主要国の政策金利推移のグラフを参照)

 私は中央銀行の、サブプライムショックに対するこうした対応の違いが、アイルランドと英国が、同じような失業率で、同じような住宅バブル崩壊を迎えながら、その後の失業率の劇的な違いにつながったと見ている。

 それでも、アイルランドの失業率はスペインなどに比べてずっと良い。これはアイルランドがユーロの掟破りをしたからだ。ユーロは将来の財政統一に向けて、財政赤字幅にGDP比3%以内という許容制限を設けている。ところが、アイルランドの財政赤字は一時30%以上にまで拡大する。景気後退に対して、大規模な財政出動を行ったからだ。他のユーロ圏諸国も行ったが、アイルランドの思い切った規模の政策が、経済の立ち直りを速めた。

参照:独愛英の財政赤字の推移
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 アイルランドの掟破りの顛末と、フランス、スペイン、ギリシャなどを含む、もっと詳しい解説は下記コラムを参照して頂きたい。内容の小見出しは次の通りだ。

・英国人がEU離脱を望んだ3つの理由
・英国人にEU離脱を決意させた、ECBの恥知らずな「ドイツびいき」
・メルケル独首相だけが「生き残った」のは偶然にあらず
・「景気後退+緊縮」という壮大な実験の帰結
・英国のEU離脱決断は極めて健全
・欧州統一国家は夢物語
・痛みを承知でEUを「損切り」した英国人
・欧州統合なしで、統一通貨ユーロは存続できるのか?

参照:イギリス国民を『EU離脱』に追い込んだ、欧州連合とECBの自業自得(MONEY VOICE)

 仮に英国がユーロに参加していて、フランス並みの発言力でしかなかったなら、英国の失業率はアイルランド以上に上昇していた可能性が否定できない。

 スコットランドは、英国に留まっていては自身の政策が十分に反映されないとして、独立を考えていた。では行政府首相は、ユーロに参加すれば、今以上の発言力が得られると考えているのだろうか? G7のフランスやイタリアでもできなかったことができるだろうか? その自信があるのなら、英国に留まっていても発言力を高めることは十分にできる。また、はるかに容易だ。

 EUは機能していない。個々の国にそれぞれの国情に合った経済政策がないために、経済格差は広がる一方だ。また、人の自由な移動を約束するシェンゲン協定も形骸化してきている。それでも、EUが夢に向かって着実に歩んでいるのなら、ここで見捨てることはないとの気持ちは理解できる。合理的な見通しさえあれば、夢をつなぐことも選択肢として残る。では、果たして、まだ統合の見通しはあるのだろうか?

 次回のトピック、「Lawrence Lindsey」と、「実現性のない夢」に続く。
 

配信元: みんかぶ株式コラム