Industrial Upgrading: 日本の経験 ‐日本のモノづくりの進化と雇用労働改革への問題提起‐
中国経済は「成長屈折」の兆しがみられる。GDP成長率10%の高速経済から7%成長への成長鈍化は技術進歩率の低下が要因であろう。1970年代の日本と同じ状況である(10%成長から4%成長へ)。今後、産業の高度化がなければ、持続的成長は困難である。如何にすれば、産業構造の高度化に成功するであろうか。
経済の発展段階によって、産業のUpgradingの仕方は異なるであろう。通常、「産業構造」(inter-industry)の転換が論じられることが多いが、先進国になれば「産業内」(intra-industry)の高度化の重要性を忘れてはならない。中国の産業構造の転換を論じるとき、このことを強調しておきたい。もちろん、先進国・日本は産業のUpgradingなくして持続的成長は望めない。
本稿は、2014年4月、上海にある復旦大学中国経済研究中心主催のコンファレンス「Economic Development and Industrial Upgrading: East Asia and China」で発表したものである(一部割愛、一部加筆した)。今後の日本経済の持続的発展を論じる際にも妥当することなので、ここに再論したい。「産業の質」は国民の民度、所得水準の高さによって決まるが、日本社会はその方向を向いているであろうか。
1、Industrial Upgrading 二つの側面
日本産業のUpgradingの経験をもとに議論したい。
産業のUpgradingは二つの側面がある。一つは「産業構造」(産業間)の高度化である。例えば、労働集約的な繊維衣料産業から、コンピュータ、航空機などハイテク産業に転換した時、産業構造が高度化したと言う。
もう一つは、「産業内」の高度化である。各産業ごとに高度化していく。例えば、「テレビ」産業でいえば、白黒テレビ→カラーテレビ→プラズマテレビ、デジタルテレビと高度化した。繊維産業について言えば、第2次大戦後の日本の経済発展の初期、1950年代の主要な輸出商品は米国向けの「1ドルブラウス」であった。しかし、今、繊維産業の輸出品はナノテクノロジーの炭素繊維である。衣料品の競争力は発展途上国に移り、日本に立地できる産業は高度技術の繊維製品だけである。
「産業構造」論は、繊維産業からハイテク産業へなど、キャッチアップの目標となるモデル国がある場合、つまり発展途上国段階のUpgrading論である。日本はこの段階を過ぎたので、産業構造論は人気のない研究分野で、最近は研究者もいない。これに対し、先進国になれば、産業内Upgradingやプロセス・イノベーションが注目される。
Inter-industryを論じる産業構造論は発展途上国段階の議論であって、先進国における議論ではないことを理解すべきである。今日の中国は、果たしてどのようなUpgrading論をすべきであろうか。
2、日本の経験
Ever fresh!
1973年、世界は石油危機に襲われた。資源価格の高騰に直面し、当時の日本では「知識集約型産業論」が流行り、鉄鋼、化学、造船、セメントなど「重厚長大型産業」の国内立地は困難との議論が主だった。
しかし、鉄鋼業は現在も、日本の主要産業として国内立地している。1970年代初め、日本の粗鋼生産量は1億㌧であったが、現在も1億㌧が続いている。隣国に粗鋼生産8億㌧という超巨大鉄鋼業国(中国)が誕生したにもかかわらず、日本は1億㌧を維持している。しかも、そのうち3000万㌧はその中国等への輸出である。つまり、高張力鋼など高級鋼材を開発し、国際競争力を高めることによって産業空洞化を招かずにいる。
俗に「ハイテン」と呼ばれる「高張力鋼」(High tensile Strength Steel)は、炭素、シリコン、チタン等10数種類の元素の配合を0.0001%単位で管理している。こうした超精密管理によって、日本鉄鋼業は今でも世界一の国際競争力を誇っている。
鉄鋼は重厚長大産業であり、国内立地はできない、将来は海外立地になるだろうというのが、石油危機当時の産業構造研究者の議論であったが、この見方は間違っていたのである。石油危機の直後、筆者は新日鉄君津製鉄所を見学したが、その時、所長さんが「鉄鋼の技術革新は永遠であり、鉄鋼は生き残る。Ever fresh!」と話したことを忘れない。君津製鉄所の所長さんが正しかったわけであり、われわれ産業構造論者の予想は間違っていたのである。
農業分野
日本の農業の国際競争力は弱いと言うのが多数見解である。市場開放すると輸入品に敗れ、国内生産は壊滅すると言うのが農業保護論者の主張である。しかし、こうした見方に反し、市場開放したにもかかわらず、国内生産が続いている農産物が多くある。
1977年(昭52)、山形県さくらんぼの自由化問題があった。アメリカンチェリーとの競争に敗れ、山形県産は壊滅するという主張が多かった。しかし、市場開放後の動きは下記のように推移した。自由化で、むしろ生産が増えた。
当時の山形県さくらんぼの主力品種は「ナポレオン」で、主に業務用(缶詰用)に生産されていた。これに対し、自由化対策として、山形の農家は“主食用”さくらんぼの高品質化を追求した。主食用の品種「佐藤錦」に転換、栽培技術の向上、雨除けハウスの普及などで、“芸術品”のようなさくらんぼを作り、ブランド力を高め、米国産に対して競争力を高めた。その結果、生産量は自由化前より増えた。価格も、中央卸売市場で、佐藤錦は1kg当たり1800円、米国産1000円と、国産品の方が高い。結局、生産額は自由化以前より1.5倍も多くなった。
農業分野は、国際競争力が弱いとみられているが、市場の競争圧力のもと、産業内Upgradingを実現し、国内立地のまま発展している。こうしたケースは多い。
静岡温室メロンは、各産地の大衆メロンより5倍も価格が高い(静岡温室メロンはガラス温室栽培の贈答用高級メロンで1kg3000円、他産地のメロンはビニルハウス栽培で5kg3000円)。静岡温室メロンは、宙吊りの金網床で栽培し、水分や土壌養分の精密な管理をしている。その成果で、他産地のメロンより5倍もの高値である。中東オマーンの王族たちは「食べるダイヤモンド」と言って、静岡温室メロンを輸入している。価格は1個2万円である。
3、国民の民度と産業の品質水準
産業の質(grade)は国民の「民度」の水準に対応して決まる。所得水準の低い社会における産業は、低級品で間に合う。中国における1990年代の電気洗濯機や冷蔵庫を考えればいい。冷えればいいと言う程度の冷蔵庫から始まり(その時、先進国では高機能の冷蔵庫が普及していた)、いまは高機能品に移行している。経済発展、所得向上に伴い、機能性の高い、より高級なものに変わった。
一人当たりGDPが1000㌦の頃の家電製品は、所得水準が5000㌦になったとき、消費者はもはや満足できない。近い将来、中国の一人当たりGDPは1万㌦になる。その時は現在の家電製品の機能では消費者を満足させることはできないであろう。仮により高級な製品を中国の産業が供給できない時、先進国からの輸入に依存することになろう。
日本の農業の高級化
日本の消費者の民度は高い。食べ物へのニーズは高所得層を中心に健康志向が強い。そのため、近年は、ナノテクレベルの技術を使った野菜づくりが始まっている。
茨城県のある農家は、イオン分析器「イオンクロマトグラフ」を使い超精密な土壌分析を徹底し、土壌中の有害物質を除去、人間の健康に有害な硝酸態窒素の含有率ゼロの野菜を供給している。農薬も化学肥料も使わず、出来たものは安全、安心、そして野菜本来の機能性成分をもち、美味しい野菜である。これで製品差別化に成功、脱コモディティに成功し、価格も出し値のままに通っている。また、連作障害もない。野菜ハウスは1年に16回転しても障害は出ない。
最近は、硝酸態窒素ゼロの野菜は同時に抗酸化物質の含有率も高いことが分かり、がん患者にも喜ばれている。(拙著『新世代の農業挑戦‐優良経営事例に学ぶ‐』全国農業会議所2014年刊、第2部2章参照)。
もう一つの事例、分子量8000の有機質肥料も興味深い。化学肥料一辺倒の時代、「植物は無機質で吸収する。だから、有機質は無用」ということが言われた(無機栄養説)。当時、分子レベルの分析が不足していたようだ。その後の技術の進歩で、近年では、植物が直接アミノ酸を吸収していることや、分子量8000程度のタンパク様物質までも直接吸収していることが分かってきた。例えば、魚粕の有機質(タンパク質)の分子量は2万~7万であり、そのままでは植物は吸収できない。土壌中の微生物によって分解され、アミノ酸など水溶性タンパクに変化すれば、植物は直接吸収できる。
こうした新しい知見をもとに、原料となる有機質を微生物や菌類の力を借りて発酵させるという前処理を施した有機質肥料を供給しているメーカーがある。この肥料を与えた野菜は美味しい(昔からの体験的知見は正しかったのである)。価格は高いが、全国のエリート農家たちはこの有機質肥料を使い、美味しく、安全で、健康に良い野菜を生産し、三ツ星レストランに出荷している。(拙著、先述第2部3章参照)
こうした高品質の野菜は、日本国民の民度の高さから要求されたものである。国民の“民度”が向上し、健康志向の野菜の供給が増える。こうした高級、高品質の野菜を供給している限り、輸入品との競争など恐れる必要はない。
このように、産業のGradeは国民の民度、生活水準で決まる。中国が持続的な経済発展を期するならば、生産要素の賦存条件の変化に対応したInter-industryの高度化だけではなく、各産業の品質向上、即ち産業内のIndustrial Upgradingが重要な課題になってくる。
4、世界のシルク(蚕糸絹業)は成長産業
日本の養蚕業は典型的な衰退産業である。しかし、世界の養蚕業は「成長産業」である。図1に示すように、世界の生糸生産量は2000年の11万㌧から、2012年には16万㌧に増えた。上昇トレンドにある。シルクは高級材であり、先進国・高所得国で消費が伸びている。
これに対し、日本のシルク需要は一貫して減少してきた。輸入主体であるが、シルクの需要は1975年には2万8000㌧(生糸量換算)もあったが、縮減一途をたどり、2012年には1万1000㌧に激減した。
供給面で見ると、日本のシルク産業の衰退はもっと劇的である。国産の生糸の生産は、第2次大戦前は4万㌧、戦後も1975年は2万㌧もあったが、今はわずか280㌧である。約100分の一。1950年代は日本の生糸生産は世界の約60%を占めていたが、2012年は0.2%である。一方、1950年代には20%を占めるにすぎなかった中国は2012年には約80%を占めるようになった。
以上のように、日本の蚕糸絹業は衰退した。しかし、日本の養蚕業の衰退からシルクを衰退産業とみるのは早計であろう。図1に示したように、世界の養蚕業は成長産業であることも事実である。(拙稿「世界のシルクは成長産業」当Webサイト2014年8月1日参照。https://money.minkabu.jp/45988)。
中国が主な供給国であるが、主な輸出先は欧米の先進国、高所得の中近東である。近年は中産階級の台頭がめざましいアジアの新興国での消費も増えている。シルクは価格は高いが、肌触りの良い高級材である。低所得層の消費行動は価格選好が強いが、高所得層は品質選好が強い。こうした要因が、シルクの根強い需要の背景である。世界のシルク需要が上昇トレンドにあるのは、世界の消費者の所得上昇に対応したものであろう。
シルクは高級素材である。いかに合成繊維の技術進歩があっても、高所得層にはシルク選好が根強くあると言えよう。生活水準の向上は、ここでも高級品志向として現れている。
5、中国の経済成長の限界
技術革新の要因は、次の3つであろう。第1はR&D努力、第2は競争市場であるが、第3に雇用労働市場の在り方も重要である。
中国の経済発展、とくに「世界の工場」としての大発展は、エレクトロニクス分野を典型に、モジュール型イノベーションが世界の技術革新の潮流になっていたことが大きく貢献した。モジュール型イノベーションであったからこそ、未熟練の農民工に支えられた広東省が大発展できたのである。テレビ、パソコン、携帯電話などのハイテク製品分野で世界の工場になり、産業構造の高度化に成功したのはモジュール型イノベーションのお陰である。
しかし、この分野で先進国にキャッチアップした今日、この「産業構造」の高度化による経済成長は限界が来る。後発国の追い上げに見舞われるからである。量産はできる。しかし、技術がないため、超精密な高級品を自力生産できる能力には欠けている。今の中国産業の現状である。
今後は「熟練」が大きな役割をなす「産業内」Upgradingのイノベーションを追求しなければならない。日本型雇用形態として「終身雇用・年功序列賃金」が言われてきたが、長期雇用の下で「熟練」が形成され、この熟練工が産業内Upgradingのイノベーションに大きく貢献した。中国が先進国にキャッチアップした後、経済成長を追求するためには、雇用労働市場の在り方が問われるかもしれない。
6、日本の雇用労働改革論へのコメント(試論)
日本の産業の質は高い。日本国民の民度、所得水準の上に成り立っているからである。これは筆者の仮説である。
さて、日本産業の国際競争力維持のため、雇用・労働市場の改革(規制緩和)が議論されている。しかし、それは日本経済にとって正解となる方向であろうか。国際競争力の視点から見て(注、格差の倫理性を問題にしているわけではない)、企業にとっての合理性と、マクロにとっての合理性は一致するであろうか。
1990年代以降、日本の雇用は正社員等が減り、非正規雇用が増える傾向にある。総務省「労働力調査」によると、非正規雇用の割合は1985年16.4%、1990年20.2%、2002年29.4%、2013年36.7%と上昇した。逆に、正規雇用の割合は同期間に83.6%、79.8%、70.6%、63.3%と低下した。(注、2001年以前は「労働力調査特別調査」〈各2月〉による)。最近の雇用制度改革論の方向も、この実勢の延長線上にある。
一方で、非正規雇用の賃金は正社員の5~6割程度の低水準である。表2に示すように、男子で比較すると、年収ベースで、正社員553万円に対し、非正規雇用は309万円である(2013年)。雇用構造が非正規雇用の方向に流れると、日本国民の生活水準が低水準化の方向に向かうことになりかねない。
また、非正規雇用=「不安定・低賃金」という環境は、モチベーションを低下させることにならないか。その人の能力を最大限引き出せるであろうか。今の日本の非正規という雇用形態は、「労働の質」の低下につながっていくのではないか。つまり、非正規雇用の増加は「産業の質」の低下を招きかねない。
◇合成の誤謬
筆者の仮説は、「国民の民度、所得水準の高さで産業の質が決まる」というものである。今の雇用労働改革は、長期的には日本の産業の質を低下させることにならないであろうか。所得水準の低い消費者が多数を占めるようになると、低級品で間に合わせることになり、国産品のUpgradingニーズは弱くなろう。そうなると、キャッチアップしてくる発展途上国の製品との競争力格差が縮小するばかりであろう。
賃金の低さでは、中国が勝っている。低賃金の上に成立する産業は、中国に勝てない。低賃金の非正規雇用を増やす雇用労働改革では、中国の磁力にジリジリと引き寄せられていくのではないか。中国の磁場から出来るだけ離れた方がいいのではないか。
国際競争力を維持するため、労働コストを削減したい。これはミクロ(企業経営)の合理性の追求であって、マクロでは「合成の誤謬」が発生することにならないであろうか。高所得(高賃金)でもやっていける産業構造、産業のUpgradingに向けたイノベーションこそ望まれる。
日本の雇用労働市場の特徴は、かって「終身雇用・年功序列賃金」と言われてきた。これは第2次大戦前の重化学工業化の過程で編み出されたもので、これによって「熟練」が形成されたと言われる。日本は、この熟練工が産業内Upgradingのイノベーションに大きく貢献した。そして国際競争力の源泉になっている。非正規雇用は労働力の質を高めるであろうか。この点でも、問題が大きい。
後発国のキャッチアップを考えると、産業の質を高める道こそ採るべき方途であろう。国民の所得水準を高め、労働の質を高めることが、産業の質を高める必要十分条件である。「多様な働き方」と賃金及び労働の質低下回避が両立できる工夫はないものであろうか。「多様な働き方」の追求のもと、低賃金の非正規雇用の増加をもたらす雇用制度改革は、あまりにも知恵がなさすぎる短絡的な解であって、正解にはならない。
企業が必要な時だけ雇用できるのは、本来なら「マージナル・コスト」であり、高くなるべきではないか。欧米諸国では非正規は正社員より賃金が高いと聞く。ILOの「同一価値労働・同一賃金」の原則にも合う。
目先の苦しみを緩和する方途は、長期的には競争力を失うという苦渋を味わうことになりかねない。長期的な視点、マクロの視点からの改革が望まれる。後発国のキャッチアップが急速な時代、労働の質を高めるシステムを考案することこそ望まれる。
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