所得急増計画を!

著者:矢口 新
投稿:2014/09/30 10:54

資産や所得が十分でない人々には、インフレ政策は極めて厳しい政治だ。

アベノミクスが、景気回復や国民の生活向上が狙いなのなら、デフレ対策や、インフレ政策などといった訳の分からない政策を謳わず、はっきりと景気浮揚策、あるいは所得急増計画と謳った方が良い。そうすれば、何を優先すべきなのかがしっかりと見えてくるかと思う。

・円安がなければデフレ継続

近頃、円安のデメリットが強調されている。最も端的なのが、円安による原材料の値上がりにより、電気代や生活費が上がって困るというものだ。

例えば、日経新聞の記事によると「8月分の電気料金は622万円。2005年の同月に比べ電気の使用量は1割減ったが、料金は逆に50%増えた。『利益はすべて電気代(の上昇分)に持っていかれる』(上島社長)。年間利益が1千万円強の同社にとって、月200万円以上の負担増は死活問題だ。
参照:「安い電気」夜明け前 価格競争の風、徐々に
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO77456640U4A920C1X11000/?n_cid=DSTPCS003

この記事は、電気代の値上がりを円安のせいにはしている訳ではないが、識者のなかには、そういう人たちもいる。

また、電力会社の中には、原発再稼働が遅れていることを電気代値上げの理由とし、原油や天然ガスが円安により値上がりしていると言う。

ここで注意を促したいのが、円安ドル高は、ドル建てて取引される商品価格を押し下げる効果があるということだ。ここ2、3年、多くのドル建て商品価格の上値が重くなってきているが、その大きな要因としては、個々の需給はもちろんだが、中国の景気減速と、ドル高とがある。

例えば、2011年4月に114ドル近くで取引されていたニューヨークの原油先物はこの9月に91ドルの半ばまで下落した。天然ガスは5ドル近くから、4ドル近辺に下落した。この間、ドルは83円から109円に上昇した。つまり、円建てでの原油先物、天然ガス先物はそれぞれ、約5.4%、約5.1%上昇したことになる。

一方、小麦は8ドル超から、5ドル割れに、トウモロコシは7ドル台半ばから3ドル台半ばに、大豆は14ドル台から9ドルそこそこにまで下落した。つまり、円安での値上がり分を差し引いても、15%~39%も値下がりしている。

実際、8月の全国消費者物価指数は前年比+3.3%だった。7月の+3.4%から減速した。コア指数は+3.1%と、前月の+3.3%から減速した。上昇は15カ月連続。また、9月の東京都区部の消費者物価指数総合速報値は前年比+2.9%だった。コア指数は+2.6%だった。

4月に消費税率が3%引き上げられたことを鑑みると、増税効果を除いた物価はほとんど上がっていない。円安(と電気代値上げ?)がなければ、明らかなデフレが続いているところだった。

こうして見ると、円安デメリット論は、消費増税や電気代値上げによるマイナス効果の、濡れ衣を着せられているようにも思える。

・円安は内需を刺激する

円安メリットを享受できるのは輸出企業だけだと言う人たちがいる。内需関連は原材料高のデメリットだけなので、円安の功罪は、輸出企業のメリットと内需関連のデメリットを相殺し、総合的に見るべきだというのだ。

果たして、それは正しいだろうか?

円安になると、外国旅行をしたり、外国の製品を買ったりすることが割高となり不利になる。このことは同時に、日本人が海外でお金を使うより、日本で使う方が割安で、より有利になったことを意味している。

また、円安では、外国人にとって日本旅行が割安になり、日本の製品を買うことが安くなる。実際に、日本への海外旅行者は急増し、その人たちが日本で買い物をしてくれる金額も急増している。

これまで極度の円高で割高となってきた農産物を含めた日本の製品は、円安になれば対内的にも対外的にも競争力を回復する。円安は明らかに内需を刺激し、その兆候は既に随所で表れているのだ。

・円安で日本が貧しくなる?

日本の名目GDPは2011年で約470兆円だった。2014年には約490兆円に増えている。しかし、ドル円レートが83円では、2011年に5.6兆ドルを上回っていたGDPが、2014年の109円では4.5兆ドルに減少する。

それでは、日本は短期間に、これほど大幅に貧しくなったのだろか?

円高は世界的に見た日本全体の価値を嵩上げするので、日本全体が割高になる。世界で最も生活費が高い都市と評価された東京や、大阪は、円高によって嵩上げされていた。では、世界一コスト高の都市に住む人たちは、本当に世界一の金持ちなのだろうか?

北欧や西欧、米国、カナダ、オーストラリア、香港、シンガポールなどに比べ、日本人の生活がこの10年で、一度でもより豊かになったことがあるだろうか? 彼らは所得だけでなく、休暇も日本人より多く、より人生を謳歌することが可能だ。いわゆる、生活の質が高い。

通貨高による豊かさとは、生産における豊かさではなく、消費における豊かさだ。生産はコスト高となり、他国に譲ることになる。しかし、生産がないと、所得の伸びもないので、消費の豊かさも失われる。それが日本の失われた20年間だったのだ。


・インフレ政策:持たざる者の悲劇

政府の経済政策はインフレ政策だが、インフレ率が名目成長率を上回ると、実質成長率は減少する。また、所得の上昇率が、消費者物価の上昇率を下回れば、国民の可処分所得は減少し、経済成長を阻害する。なによりも、生活費が圧迫される。

あらゆる経済政策は富の移転を伴う。増税しての景気刺激策では、政府の意向に沿って富を吸い上げ、政府の意向に沿って分配する。どんな政策でも、それなりの不公平感を伴うことになる。消費増税では、すべての国民から薄く富を吸い上げることになる。

インフレ政策では、モノや資産の価格が上がるので、生産に関わらない人や、資産を持たない人は、取られ損となる。薄く取られても、ぎりぎりの生活をしていた人たちには死活問題ともなる。特に消費増税と組み合わされたインフレ政策は、経済的弱者を直撃する。

ある程度、資産を持つ人は、価格上昇が期待できるものに資産を移すことが、インフレ政策から身を守る手段となる。何もない人々には、インフレ政策は極めて厳しい政治だ。

・所得倍増計画

アベノミクスの基本はインフレ政策だ。構造改革も掲げているが、今のところは、インフレだけしか見えない。そのインフレも、増税分がほとんどで、後は資産インフレだ。その点では、株式を持つのが身を守るのに最も有効だと見ている。

米国が現在採っている経済政策の基本は雇用対策だ。雇用対策は所得増による景気浮揚効果を持つと同時に、失業保険などの社会保障費を押し下げる。歳入、歳出の両面から財政健全化に繋がるので、私は経済政策の王道だと見ている。何よりも、多くの人々の生活の質が向上する。

今の若い方々は、日本にも所得倍増計画と呼ばれた経済政策があったことを知らないかもしれない。1960年7月に誕生した池田隼人内閣は10年間で月給を2倍に引き上げるとし、64年のオリンピックを前にした公共投資を軸に、年率7.2%の経済成長を計画した。計画期間の1961年から70年の間の経済成長の実績は年率10.9%となり、国民1人当りの消費支出は10年で2.3倍となった。

これだけの経済成長が可能となった背景には、戦後の復興期からの継続成長、人口増、消費文化の浸透、冷戦構造下での米国の後押しなど、現在では望めない好環境があったことは否めない。しかし、この規模の成長を達成した他国の環境と比較すると、高成長に決定的な要因が見えてくる。当時、「一億総中流」と呼ばれたような、中間層の成長だ。

10年で所得が倍増するような経済成長は、中間層の成長によってのみ達成されるかと思う。欧米先進国の成長が鈍っているのは、所得格差の拡大により、中間層の没落が始まっているからだ。米国の雇用政策は今のところは機能しているが、社会の大多数を占める層の復活なしには、経済基盤は脆弱なままだといえる。

アベノミクスが本当に機能しているかどうかは分からない。しかし、増税とインフレ政策の組み合わせでは、景気が上向くとは思えない。つまるところ、円安に救われているだけなのだ。

アベノミクスが、景気回復や国民の生活向上が狙いなのなら、デフレ対策や、インフレ政策などといった訳の分からない政策を謳わず、はっきりと景気浮揚策、あるいは所得急増計画と謳った方が良い。そうすれば、何を優先すべきなのかがしっかりと見えてくるかと思う。

配信元: みんかぶ株式コラム