為替市場のレジェンド若林栄治氏

著者:矢口 新
投稿:2014/07/29 10:29

昨日朝のテレビ東京の経済番組で、為替市場のレジェンド若林栄治氏がドル円、米株、日本株の中長期見通しを述べていた。

エリオット波動とフィボナッチ、過去の変動率の見方から、ドル円の目先から短期的には80円台のドル安円高、その後は120円超えだとのこと。米株は下落リスクが大きいが、日本株はさんざん下値を試したので、あまり下がらずに、高騰すると述べていた。日経6万円という数値も聞こえたように思えた。

若林氏は、私が外為銀行間取引市場にブローカーとして入社した1980年代初めには、既に東京銀行シンガポールにおけるカリスマ・ディーラーとして著名だった。当時は、時差1時間のシンガポール市場と東京市場でも僅かながらも価格差があり、市場間アービトラージが可能な時代だった。当時の東京銀行は、日本唯一の外為専門銀行として右肩上がりの日本の貿易実需為替を抱え、世界各地に支店や現地法人、駐在員事務所を構えていた。BOT(Bank of Tokyo)が世界のビッグネームになりつつある頃だった。

同氏にはブローカー仲間の間で有名な逸話がある。ロイターがPCスクリーン上での売買システムを提供したのは1990年代になってからなので、当時のロイタースクリーンやテレレートに表示されている為替レートは、一部の外為銀行が提示する参考レートでしかなかった。それも、ビッドとアスクとが5銭、10銭と開いていた。ブローカーはテレックスで他市場の自社の拠点と、また電話でほぼすべての外為銀行と繋がっていたので、ブローカー市場がリアルな外為市場だとも言えた。

あるブローカーがある時、若林氏に「いくら?」と聞かれて、「$yen 20-25 in the market(市場でドル円ニマルニーゴー)」と答えた。ブローカーが唱えるレートは通常、常に売買可能なレートだ。しかし、市場でと付け加えることで、単なるインフォメーションとなってしまう。これだけで、このブローカーが未熟なことが分かってしまうのだ。

もし、たまたまブローカー市場にレートがなかった時、まともなブローカーならば、即座に「mom(ちょっと待って)」と答え、間髪を入れず他の銀行のダイレクト電話に入って「$yen for BOT Sin?(東銀シンガポールにドル円レートの提示をお願いします)」と、レートを取り、若林氏には「20-23 in 10(ニマルニーサンで10本)」と答えたはずだ。この間、1、2秒かと思う。そして、次のレートを素早く提供したことと思う。

ブローカーの力量は、即座にレートを提供してくれる銀行をいくつか抱えていること。素早く大量に売買できる環境を整えられるかで測られる。高い流動性の提供は、外為銀行の売買リスクを下げるからだ。

東銀シンガポールにインフォメーションは必要ない。若林氏は「I am the market」と言って、電話を切ったという。かっこいいですね。

「I am the market」とは、(誰がレートを提供しなくても)俺が流動性を提供する。俺が市場だという強い自負がなければ言えない言葉かと思う。

私が野村證券ニューヨークで為替部門を任されていた頃、同氏は東京銀行から日本の準大手証券のニューヨーク現法に転職した。同氏の現地での部下が知人だったので、出版されたばかりの拙著「生き残りのディーリング」を贈呈したところ、若林氏に見せたら「この人、相場をよく知ってるね」と言っていたそうだ。市場での大先輩にそう言われて、嬉しかったことを覚えている。私にも若い頃があったのだ。

配信元: みんかぶ株式コラム