時代は過ぎて行くが名作は残る 道のり

私は幼い頃から女系家族で頼られていたが幼い私は

命を狙われ医学も現在のように進んでいる時代では

無かった、そこで女の手習いで営業し起業して会社を

造り会社を運営して女社長だったが男尊女卑の習慣

などで母は父親を社長にして自分は事務員が好いと

 

言って父に任せたが所詮は彫師でお香り彫りを会得し

彫師の中では有名であったが母は企業家として父を

支えていたが横道に反れた人生を母は嫌い私達を

育てた。そして私に母性本能の強靭さを教えて支えた。

そんな過去が脳裏に残っていて短歌を教えて教育した。

 

この頃は昭和天皇の嘆きを聞き皇室とは距離を置き

九州の抗争とベトナム戦争の復興の企画で日本の

芸能界の興行などの許可の係で小銭を貯めていた。

 そして貯めた資産目当てにフジテレビの資金を調達に

資産を要求して来た。戦争問題を盾に言い張って、

私の家から400万円を渡したが芸能界の興行などの

権利も奪ってしまった。そして命がけの教えで歌を

造りゴーストライターとして扱われ、我慢をさせられ

てたが育っていくうちに映画企画などをおこない。

 

番組企画もおこなって奥歯を食い縛った。

それが今の時代になり1京円の確認で戦争問題も

落ち着かせたが平成の時代に雪だるま式に複利で

現在に至るが消えた年金を見逃しはしない。

 

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