やしきたかじんさんが、東京に来て私を探し当て
酒と泪と男と女を作詞したのは私と知っていた様です。
そして作詞をお願いされました。私は今ではカラオケなども
いかないで、過ごしていますが、東京と言う曲を作りました。
たかじんさんは喜んでいましたが、曲のお代を払ってなく
今では亡くなってしまいました。たかじんさんは自分の寿命を
短くされ有頂天に遊んでいたと知りました。
しかし、私と知り合って東京と言う歌を大阪の方の粘りで
私を説得し私はその場で作っていた曲があると言って
渡したのですが、太く短く逝ってしまわれましたね。
私は今はただ、その時に食べた唐揚げ弁当を
懐かしんで食べてます。