紀元二千六百年  3年7月25日(日)21時49分

堅実さん

皆さんは、ゼロ戦が、どうして、呼ばれたか、ご存知だろうか。紀元二千六百年を、記念して、その時に、作られた艦上戦闘機を、ゼロ式艦上戦闘機と、命名したのである。略してゼロ戦である。

当時としては、航続飛行距離、1000キロメートルで、まさかと思う、飛行距離であった。こんな、戦闘機が出てくるとは、アメリカ軍は、予想していなかった。九州から北海道まで、往復できる、飛行距離だったのである。

戦闘機と、同時に、小型爆撃機としての性能が、あった。


しかし、このために、機体重量を軽くしたため、その防御性能は、低く、一度、背後から、機銃を受けると、簡単に落ちてしまう、欠陥があった。


 「紀元二千六百年」


https://www.youtube.com/watch?v=zYgKAzOoNsQ 


この紀元二千六百年は、西暦に、対抗して作られたのである。皇紀2600年である。今でも、皇室では、この年号を使っているかもしれない。ユーチューブ中頃には、東京裁判で、絞首刑になった、総理大臣、東条英機も、見られる。 


この時は、昭和16年頃で、太平洋戦争の、始まる前である。


堅実のブログは、結構、教養が、つきますね。




 


2件のコメントがあります
1~2件 / 全2件
堅実さん
風車の弥吉  さんへ

「その0戦も最後は特攻隊の道具にされて哀れな運命でしたね。
後にはロッキード社製のグラマンの方が性能的には優れていました。」

そのとうりです。
生産力、技術力が劣る日本で、気力だけ、求められた。
当時のGDPは、日本1に、対して、米4。ソ連だけでも、2.4。とても、勝てる相手ではありません。
陸軍の暴走が、止められなかったのが、原因です。

「堅実のブログは、結構、教養が、つきますね。

あはは、それを自分で言うかと言いたいね。^^」


これは、冗談です。殺伐とした世の中なので、一つくらい、あっても、よいのでは。









こんこん。
 
その0戦も最後は特攻隊の道具にされて哀れな運命でしたね。

後にはロッキード社製のグラマンの方が性能的には優れていました。

>堅実のブログは、結構、教養が、つきますね。


あはは、それを自分で言うかと言いたいね。^^


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