唯我さんのブログ

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判断の基準がほしいからやる

2021.06.02


パソコンを処分するにあたりデーターチェックしていたら、迷惑メールフォルダに、検証をやるのは勝てる方法を見つけるためなのか? というお問い合わせメルが入っていた。

 何年前だ? 数年あけてないパソコンだよねこれ。

あっちは、自分がチキンで、大勢に流されやすく、頭が納得してからでないと行動がついてこないタイプだと知っている。

 ってことは、だ。

自分の基準をがっちり固めておかないと、他人の判断に簡単に流されるってことだ。

 

判断の足場がないと、被害甚大どころでは済まないときがある。人は危機的な状況のとき、いつもにもまして多数の意見に流されやすくなる。そのせいで更に危険な状況に突っ込むことになる(ことが多い)。これは、いやってほど経験している。

 判断の足場を固めるために、下調べをしまくる。まさかこれが、トレードにも生きてくるとは思わなかった。

あっちはトレードを習ったのだが、講義のたびに講義内容の検証をかけまくっていた。

当初は習ったとおりの状態に本当になるのかどうか、講義内容の確認作業だった。

それが、習った技に、自分の生活や性格に合うように微調整をかけるための作業にかわった。

 決定的に意味合いが変わりだしたのは、自分なりのトレードルールができてきたあたりだ。

 

 トレード回数を重ねたら、今回だけは状況が違うと思うことが、何度も起こる。で、エントリーして勝ったり負けたりした。

その手のトレードを抜き出してチェックしてみると、トータルではルール通りにやった方が勝てていた。


ルール通りにやってりゃ、ああだこうだ考えるよりずっと、ココロの負担が少ない。しかもトータル勝てている。 ・・・ルール通りやるほうがよくね?

 ちょっち、ちょっち、ちょっち、ちょっち、検証かけてみねぇと!!! 


上手くいっているときや、教えられた技が相場に合っている時期には、誰だって教えられたとおりにやれる。

 だが上手くいかない時期には、それをやるやらないの根拠と、根拠に基づく基準が自分の中にないと、声の大きな他人や、資金が削られていく状況に引っかき回される。同じ技を使い続けることにココロが疲弊して、できなくなる。

自分の基準、自分の根拠がはっきりしていれば、基準や根拠は自分の錨になる。市場や世間が嵐ってもパニクっても、自分の考え方や判断基準に明確な足場がある。だからパニク沼に引きずりこまれないで済む。


市場が動いたり動きを変えたりしたとき、自分の基準で動きに乗ることも動きから離脱することもできる。自分で考えて、行動ができる。

 あっちは簡単に他人様の意見に流される。みんなと同じ方向に乗っかろうとする。だって、楽じゃん?

だがトレードという分野は、楽をやり慣れると、後で必ず壊滅的被害を受けることになっている。自分で考えて自分で確認して自分で選択して、自分で決断し行動したほうが、やられたときの納得感が違う。基準があれば、やられても、次の行動に速攻で移れる。

 

現在の検証は、自分がぐらつかないために、他人に流されないために、自分の判断基準を固めるためにやっている。ルール通りにやるほうが、結局は強いと確認するためにやっている。

 

今ならそう答えられるのだが、今更返信を出しても不審者扱いだ。

なんだかとても、申訳ないことをしてしまった。

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