私が結婚を考えた時はフィリピンの女性と同棲してて英会話が出来た時に
結婚を考えた。その英会話も使わなくなって忘れてしまった。
情熱的だが、ミンダナオは怖い。一回行ったが二度と行きたくない。
結婚は一回だけで怖い思いをしたのでバツイチで良い結婚願望はない。
そして今後において物価が高くなる結婚すると共に働かないと生活に困る。
そんな屈辱を受け素直じゃない女性の心をほぐした事を思い出します。
本作は不幸のオンパレードだ。主人公の良子は、夫を「上級国民」に轢(ひ)き殺され、家族や弁護士に虫ケラ扱いされる。勤め先のスーパーの店長にも、そこをクビになって働くピンサロの客にも、息子へのイジメをスルーする担任にも……。実の父親による近親姦を告白したピンサロの若い同僚ケイも、同棲(どうせい)相手の激しい暴力を受け、中絶を強制され、中絶手術でガンが見つかり、あっけなく他界する。
良子とケイは互いに自分の不幸を話せる唯一の間柄だ。二人は「社会そのものからの」虫ケラ扱いを嘆く。前作『生きちゃった』は個人的不幸を描くが、今作が描くのは社会的不幸だ。不幸の連鎖は個人的というより、多くの日本人が被る社会的なものだ。スーパーの店長が象徴する。そこには虫ケラ扱いされる者が他者を虫ケラ扱いする連鎖がある。
良子とケイは対照的だ。ケイはいつも怒る。父や同棲相手への怒りではない。虫ケラ連鎖を強いる社会への怒りだ。他方、良子は怒らない。それどころか「まぁ頑張りましょ」という言葉を息子にもケイにもピンサロ客にもかけて抱擁する。だが、それも敢(あ)えての作法だと示される。結婚前の良子はアングラ女優だった。「上級国民」家族やピンサロ客に変人扱いされ、息子からも、理解できない、いつも演じているのかと問われ、彼女はそうだと答える。こんな社会で尊厳を保つには、なりすまして生きる他ないのだとばかりに。
そんな彼女が本気になる機会が訪れた。かつての同級生に恋をして、裏切られ、突如、感情が爆発する。彼女の周りの、息子を含めた全ての者が連帯し、同級生に復讐(ふくしゅう)する。その連帯が最終場面につながる。息子を乗せて自転車をこぐ良子が夕方の茜色(あかねいろ)の中で「何でだろう、ずっと夜にならない」と呟(つぶや)く。むろん観客は理解する。本気と連帯だけが茜色を終(おわ)らせないのだ。
良子とケイは互いに自分の不幸を話せる唯一の間柄だ。二人は「社会そのものからの」虫ケラ扱いを嘆く。前作『生きちゃった』は個人的不幸を描くが、今作が描くのは社会的不幸だ。不幸の連鎖は個人的というより、多くの日本人が被る社会的なものだ。スーパーの店長が象徴する。そこには虫ケラ扱いされる者が他者を虫ケラ扱いする連鎖がある。
良子とケイは対照的だ。ケイはいつも怒る。父や同棲相手への怒りではない。虫ケラ連鎖を強いる社会への怒りだ。他方、良子は怒らない。それどころか「まぁ頑張りましょ」という言葉を息子にもケイにもピンサロ客にもかけて抱擁する。だが、それも敢(あ)えての作法だと示される。結婚前の良子はアングラ女優だった。「上級国民」家族やピンサロ客に変人扱いされ、息子からも、理解できない、いつも演じているのかと問われ、彼女はそうだと答える。こんな社会で尊厳を保つには、なりすまして生きる他ないのだとばかりに。
そんな彼女が本気になる機会が訪れた。かつての同級生に恋をして、裏切られ、突如、感情が爆発する。彼女の周りの、息子を含めた全ての者が連帯し、同級生に復讐(ふくしゅう)する。その連帯が最終場面につながる。息子を乗せて自転車をこぐ良子が夕方の茜色(あかねいろ)の中で「何でだろう、ずっと夜にならない」と呟(つぶや)く。むろん観客は理解する。本気と連帯だけが茜色を終(おわ)らせないのだ。