「初心、忘るべからず」。世阿弥の「風姿花伝」より。これは、物事を始める時と、数年経過した時と、晩年になってからの、心構えをいったものである。
初めは、芸事とか、運動とか、仕事とか、よく慣れないので、おっかなびっくりするものである。あるいは、緊張して、望むものである。
それが、1年とかも経過すると、人はとかく、慢心とか、奢りになりやすい。この時が、更に精進できるか、そのまま、つまらぬ状態で終わるかの、境目になる。ここで、初めて事をするときの、緊張した事や、冷や汗を、かいて過ごした日々のことを、忘れてはならないと、言ったものである。
世間ではこの「初心、忘るべからず」を、間違った解釈をしている人が多い。それは、必ず、将来は成功するとか、大成するとかと、解釈しているのである。つまり、野望を持てと解釈しているのである。これは、あきらかに、間違った解釈である。
しかし、人は心変わりしやすいものである。数年、あるいは、十年もすると、自らの、成果や能力に溺れて、いつの間にか、慎重に、仕事をするとか、あるいは、研究者なら、今までの、研究成果に満足して、怠けやすくなったりしやすいのである。世阿弥は、これも戒めている。常に、向上しようという、気持ちを失うなと言っているのである。
例えば、株式投資では、最初、うまくゆくと、才能が有るとか、特別な能力があるとか、思い込みやすい。世阿弥は、こんなことを、戒めている。
私自身も、これからも、慎重に、おっかなびっくり投資をするのが、結果としては、最善の方法だと、思っています。
更には、人が、晩年になると、そこまで、うまくいっていた人は、もう、手が付けられない状態になりやすい。昨今の、自民党の政治態度や、官僚の接待などに、現れていないか。あるいは、会社を興して、うまく会社を、大きくした人とか、
芸能人で、人気の出た人が、陥りやすい。テレビなどでの、横柄な態度は、見ている人には、顔つきなどで、分かるのである。世阿弥は、これも、戒めている。「老いたときの初心、忘るべからず」である。
世阿弥は、芸事や技術は、一生、これでよいということは、なく、常に努力して、ゆかなければならないと、言っている。
これが学生なら、その日の勉学に、励むことを、当然言うだろう。人は、神でない限り、未熟である。だから、自分は、まだまだ、欠点が多いと、気づき、毎日を、しっかりと、練習に励めと、言っているのである。
私自身も、株式投資で、これからも、おっかなびっくりで、投資しようと、思っている。








