堅実さんのブログ
私の履歴書 2年9月12日(土) 15時20分
日経新聞の私の履歴書を、12年以上、15年くらいか、見ている。
下手な、生き方の本よりは、よほどためになる。
注意すべきは、筆者の都合のよいように、書いていることだ。このことを、考えながら、見ている。
面白かったのは、「ニトリ」の社長さんの、履歴書である、週刊誌が、2誌で、親族が「嘘ばっかり書いている」とあって、笑ってしまった。こんなこともあるから、少し、割り引いてみるのがよい。
1年間で12人、10年で120人になる。いろんな人の人生を、見てきた。この中には、佐久間良子、浅丘ルリ子、湯川 れい子(ジャズ)もあった。湯川 れい子は、エミージャクソン(日本人)の、「涙の太陽」を、作曲した。
浅丘ルリ子では、「男はつらいよ」の、渥美清が、亡くなるなる寸前、「ルリ子さんは、元気でよいですね」と、言ったという。撮影の合間だろう。この頃は、渥美清は、無理をして、撮影していたらしい。死期を予想していたのだろう。
佐久間良子は、戦時中、群馬県の安中市のお寺に疎開して、墓場で、人魂の燃えるのを見たという。当時は土葬で、リンが、雨の日などに、土の上で燃えるのが、「人だま」だと、思われていた。怪談映画にでてくる、「人だま」である。
ノーベル賞、受賞者の履歴書もあった、アメリカで、ひたすら、海藻か何かを、奥さんと採って、それを調べた。
その他、財界人、公務員、議員など、いろんな人を、見てきた。
面白いのは始めの頃である。戦時中、米軍機の、機銃掃射を受け、命拾いしたこと。あるいは、隣にいた人が、爆弾で死んで、自分は無傷だったとか。だいたい、20歳頃までか、30歳頃までが、面白い。この頃、どう生きたかである。
それからは、こう、うまくいったなどというのは、だんだんつまらなくなり、最後まで、読む場合と、途中で止めてしまうのが、半々くらいである。
若いころ、どう生きたかが、興味あるのである。こうやってうまくいった。成功したというのは、面白くない。どう、生きたかに、興味ある。
今月は、アート引っ越しセンターの寺田さん(女)である。中学卒であるが、工夫と運と、努力で、どうやったかは、面白い。
いろんな人の履歴書を見て、大体言えるのは、まず間違いなく、人一倍、努力していることである。まずこのことが、分かった。
努力なくしては、幸運は巡ってこないことだ。そしてその次は、運である。どのような人、どのような生活環境に置かれたかである。
その中で、人一倍、がんばった。ある人は、一日の睡眠時間が、4時間で、後は働いた。こんなことは、推奨できないが、時間を、遊んでいないことである。遊びが、仕事である。
こんなことから、私の人生を、振り返ると、他の人とは、異なる生き方で、学習することを、一貫してやってきた。まだ、努力が足りないと思うが、病気の体で、やってきたことは、間違いない。これが、私の財産だろうか。
-
タグ:
りす栗 さんへ
30代位まで苦労して今も精進なさっているのでしょうね。
私の場合は30歳位まであまり努力はしていませんでした。
その後年齢が上がるごとに努力をしないといけないような
状況になりました。
基礎が無いのでひらめきみたいな感じですが
人に恵まれていたように思います。
ISAY企画 さんへ
「新聞は冠番組を抱えてます。
アイビーあずさ さんへ
「30代位まで苦労して今も精進なさっているのでしょうね。」
精進か、どうかは、分かりませんが、このままでは、いけないという、気持ちが、強かったです。
クラスで、2番くらいだったですが、大きくなって、なんだ、そんな程度かと、言われたくなかったのが、原動力です。