「幸(さいわい)」住むと人のいう。
ああ、われひとと尋(と)めゆきて、
涙さしぐみ、かへりきぬ。
山のあなたになお遠く
「幸(さいわい)」住むと人のいう。
カール・ブッセ「山のあなた」 青空文庫に掲載の上田敏「海潮音」から
これは、小学6年生の頃です。1月頃ですか。もう6年生も終わりで、中学へ行くのかと、思っていた頃、「6年の学習」とかという、月刊誌の最後の方に、載っておりました。この頃から、自分と他の人、そしてこれからの、中学での生活を、考えるように、なりました。
この詩を、こんな風に考えました。幸せというのは、はるか彼方にあると思って、遠くの方に、行ったとしても、その先には、さらに、遠くがある。
どこまで、行っても、その遠方がある。これは、その先その先で、きりがない。
結局、幸せは、考えるだけで、そこには幸せはない。はかない希望を、持っても、それは得ることができない。なんと、人生は、無常で空虚なものかと。
台所で、釜の火を焚きながら、その火を見て、これは、考えても、考えても、その先があり、無限の先になる。
そう思いながら、火を見ていると、煙が目にはいるし、目と顔が熱くなる。そんなまま、何時の間にか。釜とか、鍋とかが、炊きあがってくる。終わりが、ないまま、かまどの火たきは、終わってしまった。
この詩の本当の意味は、分からぬ。しかし、どこまで行っても、得られないものではと、思ったものです。数十年経過し、今でもこの詩を思い出すと、幸せは得られないものだと、つい、今でも思ってしまう。