今日、眼鏡を、新調しようとしたら、右目がおかしい。眼科に行ってくださいと言われて、診てもらったら、禄内症だと言われた。目薬をもらって、点けてみる。今のところ、これといった自覚症状はない。そして、特に生活に支障はない。
時々、こう考えている。つまらない人生だったが、最期は、落ち着いて、静かにこの世を去ってゆこう。自然に、なりゆきに任せよう。これが仏道で言うところの「生きとうない、死にとうない」という事だろう。これは、禅宗における最高の境地だという。
今は、とても、そんな気持ちちは、無いが、せめてこんな最期を迎えたいと、思っている。
録内症と言われても、それは、がっかりはするが、生活に特に、困った状況ではない。このまま後、10年も見えれば、それでもよいとも、思っている。もちろん、次第に悪くなるのは、気分が悪いが、それも神が与えた定めなら、それも、よしとしよう。今から準備しているが、がんだと言われても、静かに受け入れよう。
(今、「リンゴの唄」、「愛染かつらの旅の夜風」、「誰か故郷を想わざる」「知床旅情」が流れている。ひと時のしずかな流れなり。人生は走馬灯と、同じなり。それを、静かに見ているなり。他に音はしない。一人の静かな時間だけが、流れる。)
大変だ、大変だと、騒いだところで、症状が、改善はしないし、そして、ここは、その人の、人生観だと思っている。修行の成果とは、こんなものを言うのだろう。言うは易く、行うは難である。これも、日々の生活で、決まることである。難しいことは、言わないで、だだ、淡々と、一日が終われば、それで、それなりの、人生であると、思っている。何があっても、落ち着こう。釈迦が言う、第2の矢は受けない。こんな心境が、最高なのだろう。外見を整えた生き方である。
あわてず、騒がず、冷静に。これが、これからの人生目標なり。難しいのは、このことだ。敵は、自身内にあり。お休みなさい。