何をいまさら、と言われそうですが、
今年は年賀状を用意しなかったので、今頃気づきました
干支の終わりである「猪」の年
元号でも「平成」の終わりの時
大きな区切りでもある、
この時に逝くことが決まっていたのでしょうか
如月。
父の転院先の病院を決めるのに、家族で大もめ。
「医療費でお金がかかるならともかく、
さほどでもない設備でこれだけの個室料金を払わなければならないの?」(私)
最終的には、たとえ個室料金がかかっても、
もしもの時には家族みんながすぐに駆け付けられるように、
交通の便の良い病院で、とみんなの意見が一致しました。
転院先の病院が決まったら、
今度は先方から「入院は来週末まで待ってほしい。」との連絡。
でも、父は転院を拒むかのように、
長年お世話になった病院で息を引き取ったのでした。
「寿命は読めない。」と言われていたのに、
あっという間に逝ってしまうだなんて。
お世話になったお医者さんや看護師さん、
理学療法士さんのいる病院で最期を迎えたかったのでしょうか。
それとも、必要以上のお金を払うことを拒んだのでしょうか。そういえば、父は家のリフォーム施行日に入院、
手すりなど高さ調節は父が在宅中の方が良いとのことで延期となり、
その後中止となりました。
「わしゃ、家で食べる。」
とスーパーで買ってきたお弁当をひとりで食べていた父。
戦後の高度経済成長期に就職
バブル期を経て退職
まさにド真ん中の時代を生きたことになるのでしょう。
生まれてくるとき
この世を去るとき
まるで自分の人生をコントロールしていたかのようです。
無駄遣いをせず後に残す、という計画を立てて生まれてきたのでしょうか。
だとしたら、目標を達成し、これ以上この世での長居は無用と、
意思を持って自分の寿命を終えたのではないか、と私は思うのです。