今年も祇園祭の「粽(ちまき)」を求めて、
京都に行って来ました
「粽(ちまき)」と言っても食べ物ではなく、
玄関に飾る笹の葉で作られた疫病・
災難除けのお守りですが、
私が「粽(ちまき)」で思い出すのが、
去年の台風の出来事です
去年、私の地域に台風が二度直撃したのですが、
一度目はほぼ真上に台風が通り過ぎて、私の家には被害がなく済みました。
その翌日、玄関先ポーチに「粽(ちまき)」がポンと落ちていた
と聞いているのですが、
くくりつけていたひもがなくなっていたので、どうやって「粽(ちまき)」が外れたのか不思議に思いました
でも、二度目の台風20号(CIMARON)では玄関ガラスが割れ、
母が怪我をしてしまい、この時ばかりは怖い目に遭いました
玄関ガラスを割ったのは本当に小石みたいな小さなものだと思うのですが、
風力が加わるだけで、ガラスを割るほどの力を持つのですね
台風でガラスが割れたりドアがなくなったりすると、
家の中に溜まり込んだ空気が逃げ場を求めて、
天井などが吹き飛ぶこともあると聞きます
激しい雨風が吹き荒れる夜、
内玄関で外の様子を見ていると、街灯が点いたり消えたりしていました。
上部の摺りガラスで「粽(ちまき)」が風で舞っており、
「蘇民将来子孫也、このまま無事去りますように」
と祈るような気持ちで眺めていました
翌朝、「粽(ちまき)」がちゃんと玄関に括りつけた状態のままで
残っていること確認して、なぜかほっとしました。
ただ、「函谷鉾(かんこぼこ)」と書かれていた巻紙は吹き飛んでしまいましたが
痛い目に遭ってしまった母も、
傷の深さからかなり時間がかかると思った傷も癒え、
ホッとしました
もしかしたら、この程度で済んで良かった
と思わなければならないのかもしれません
私が祇園祭の「粽(ちまき)」を求める鉾(ほこ)は、
数ある鉾(ほこ)でも「函谷鉾(かんこぼこ)」にこだわっているのですが、
この一年でその思いが一層強くなりました
そもそも「函谷鉾(かんこぼこ)」は、
中国戦国時代、斉の孟誉君(もうしょうくん)が函谷関の関門を開き、
難を逃れた故事に由来、
難を逃れた故事に由来、
私がそれを気に入っているのです