『ヒッキーヒッキーシェイク』 津原泰水著

小督さん
小督さん
(左)早川書房版
(右)幻冬舎版 
クラウス・フォアマン装画

「この本が売れなかったら、私は編集者を辞めます。」
早川書房 塩澤快浩

「ひきこもり」を題材にした小説、津原泰水著『ヒッキーヒッキーシェイク』、
読了~

私が読んだのは幻冬舎版でしたが、本日早川書房より文庫版が発売され、
そのオビには担当者からの、上記のコメントが記載されています

担当者の決意は本物ですね。
早川書房社長の許可を待って、このオビとなったそうですから
(ただし、初版が当初の2倍以上になり、
辞める必要もなくなったと昨日twitterに書かれていました

5月中旬、twitterで津原泰水の名前がよく流れてきました。
津原氏が百田直樹氏の日本国紀』を批判したことが発端となり、
幻冬舎社長の見城徹氏が津原氏著書の実売部数を発表、
同社より文庫化予定だった『ヒッキーヒッキーシェイク』が
中止に追い込まれたとのいきさつがあったようです

「人間造りに参加してほしい」
少し怪しいカウンセラーを通じて、
4人のひきこもり達(パセリ、セージ、ローズマリー、タイム
ネット上で協力をしてミッションを遂行する・・・
そんなお話です

個人的には、ひきこもりのひとりがバンド活動に加わる場面はツボでして、
読みながら爆笑してしまいました

そして眼の前が開かれるような、明るい未来を感じさせるラスト

それぞれが挫折をしながらも自らの能力を発揮し、目的に向かって進むさまは、
もはや「ひきこもり」ではないと私は思うのですが、どうでしょうね

俺たちには嘘をつく権利がある。
それはでかいほど罪がない。


twitterもそうですが、要所を抑え、
言葉を端的に述べられる津原泰水氏に注目しています







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#books
10件のコメントがあります
1~10件 / 全10件
小督さん
I SAY企画プロダクションさん
こんばんは

津原泰水さんの作品を読んだことはありませんでしたが、
文庫本の表紙はいくつか見た憶えがあります。
でも、なぜか私は漫画家だと思っていました

ひきこもりが何かと話題になっていますが、
食事もテーブルを囲むことなく、
働かなくても黙ってお小遣いを渡す親が多いことにもびっくりです
こんにちは。
私も作者を検索しただけですが初めて知りました。

しかし引き籠りを題材にしてますが積極的なんですね。


小督さん
アイビーあずささん
こんにちは

今回の装画は丹地陽子さんで、よりスマートな印象を受けます

でも、読んだことがない本や知らないことについてのコメントは難しいと思うので、
気にしないでくださいね

ひきこもりが社会問題になっていますが、
川崎の事件も元次官の事件もひきこもりが原因の事件ではないと私は思っています

きこもれる環境の人は生活費の心配をする必要がないので、
経済的に恵まれている人じゃなければできませんよね

たとえ対人関係が苦手であっても、お母さんのお手伝いをするとか、
お庭や家庭農園でのお世話とか、ちょっとしたDIYなど、
家庭でやらなけらばならないこともたくさんあると思うのですが、
それすらしないひきこもりが多いみたいですね

事件や事故などのトラウマを抱えて、ショックを受けている訳でもないのに、
成人した大人にお小遣いまで与えている家族関係を長年続けていることが不思議です

そうそ、今回「こどおじ(子供部屋おじさん)」なる言葉を知りました
今晩は、小督さん。

読んでいないので分かりませんが
表紙の絵柄を観ても
引きこもりとは思えませんね~

学校にきている講師の先生は
70歳ですがバリバリに働いています。
息子さんがひきこもりで
先日の川崎の事件で、心配していました。
最も、先生の息子さんはおとなしくて暴力をふるうことは
ないそうですが。。
小督さん
堅実さん
こんばんは
再度コメントありがとうございます

熊野行幸は後白河上皇だけではなく、他の上皇や天皇もお参りされていますし、
熊野は古くから聖地として信仰されていたそうです

廃仏毀釈は明治政府、日本歴史史上の愚行のひとつですね。
奈良ですら熱心に行われた地域があるそうですよ

私の家はもともと真言宗でしたのでその影響は受けなかったと思われますが、
薩長出身者が占める明治政府には警戒していたらしく、
少しづつお金を物を移動させたり、もしもの時の土地を用意していました
堅実さん

小督 さんへ


「後白河上皇は源氏と平氏を上手く利用したしたたかなイメージがありますね。私は未だにそう思っています


これが、通説ではと、思います。


「でも、信仰心が篤かったのは確かみたいです熊野詣の熱心な信者だったそうで、一説には34回なさったとも言われていますね。京から熊野までの道のりもさることながら、上皇といえども輿を降りて歩かなければならない山道です後白河上皇が今様をお好きだったとは知りませんでした式子内親王のお父さまでもありますね 」


熊野詣は、知りませんでした。34回ですか。多いですね。

我が家は、元々は、修験道で、熊野神社です。

しかし、明治の廃仏毀釈廢佛毀釋排仏棄釈、はいぶつきしゃく)で、天台宗に改宗しております。





小督さん
堅実さん
こんばんは

「歴史ヒストリア」、録画するつもりでしたがうっかり忘れていました。
三十三間堂は最後に行ったのは確か10年以上前で、
2~3回参拝していると思うのですが、最近足が遠のいています

後白河上皇は源氏と平氏を上手く利用したしたたかなイメージがありますね。
私は未だにそう思っています

でも、信仰心が篤かったのは確かみたいです
熊野詣の熱心な信者だったそうで、
一説には34回なさったとも言われていますね。
京から熊野までの道のりもさることながら、
上皇といえども輿を降りて歩かなければならない山道です

後白河上皇が今様をお好きだったとは知りませんでした

式子内親王のお父さまでもありますね
小督さん
ピーマンショック!さん
こんばんは

津原泰水さんは少女小説家としてデビューをしていますから、
氷河期世代の女性だったら『あたしのエイリアン』でピン!と来る人が多いと思います

『日本国紀』なんですけれど、「盗用」とか「コピペ」疑惑があるんですよね。
私も『日本国紀』の初版を読みたいのですが、図書館でも長~い順番待ちです

昨今なにかと話題になるひきこもりですが、
内容は深刻なものではありません。
それぞれのキャラクターが際立っていて面白かったです
堅実さん

こんにちわ


お元気でしょうか。

「歴史ヒストリア」の33間堂を、見ました。

後白河上皇が、人々の平安を願って建てたものです。

後白河上皇は、武士に政権が移る、最後の上皇。

ただし、政治には、能力が無かったらしいです。


「今様」、これは当時の庶民が歌っていた歌で、現在では、流行歌とか、演歌とかの、大元の歌です。

こればかりに、こっていたようです。


しかし、その「今様」の歌で、当時の、飢饉、戦乱により、京都の荒れ果てた状況を見て、千手観音を、33間堂に安置し、祈ったというのです。

後白河上皇は、33間堂の向かいに、堂を建て今でも、祈っているとか。


後白河上皇は、歴史では、悪者扱いされやすいですが、こんな一面も、あったのかと、思っております。






こんにちは。

作者の方よく存じ上げませんが、百田尚樹氏を批判したくらい元気も勇気もある人なんですね。


今の混沌とした世の中、パッと明るくするには斬新な発想、アイデア必要かと思います。

今度書店に行ったら手に取ってみたいと思います。
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