風と共に去りぬ(3) 映画(後編) (長いので、時間の有る時にどうぞ)
主人公、スカーレットオハラが、「タラに行こう。」というセリフがある。タラには土地がある。赤い土、土地が有れば、そこで農業を営める。また奴隷も使うことが出来る。そうすれば、生活できる。南部の農業主の、貴族的生活の基本をいったものだろう。
この土地であるが、狭い日本でも、土地は不動産として価値あるものとして存在している。ただ、日本の国土は狭くて、ごみごみしている。殆どが、山間部に近く、平坦部は少ない。平野と言っても、その奥に山が見える。
数年前から、アイダホから来ている、若い女性と知り合いになる。生家付近の写真を見せてもらう。本当に、原っぱに、道が1本あるだけである。隣が800メートルくらい離れている。4方がすべて原っぱである。大平原である。大陸性気候で、夏は40度。冬は零下20度になるという。乳牛を1000頭、飼育し牛乳生産をしていると言う。日本の15頭飼っている酪農農家とは規模が違う。生産力の違いである。
家には鍵をかけない。来る人が滅多にいないという。しかし、これは、強盗に入られたら、大変だと思う。銃社会である。日本とは生活感覚が違う。アイダホポテトと言ったら、「じゃがいも」は、この地方では、ほとんど生産してないと言う。これは、日本のポテトチップスメーカーが、言っただけである。
それにしても、主人公のスカーレットの、激しい心には、理解に苦しむ。妹の夫と、恋仲になったと思うと、バトラーとも結婚する。レット・バトラーとは、資産が目立てだとも思える恋愛である。この恋心の気持ちが、あっちに行ったりこっちに来たりである。見ている方が、落ち着かない。作り話だから出来ることである。
バルザックの恋愛小説「谷間の百合」やアンドレジイドの「狭き門から入れ」のようなプラトニックラブとは、かなり離れている。どこまで本気か、どこまで嘘か。スカーレットにも、その場限りの激情で、本人にも分からない、心の持ち主だろう。こんな女性は、日本にはそういないだろう。
しかし青春時代ともいえる若者にはよく見られる。一目会って、急に恋心が生じたり、4日後には別の人に興味を持ったりである。20歳の頃の若者は、こんな状態だったと、昔を思い出す。若者の好き嫌いは、こんなものだろう。
何度か出て来る「タラ」に行けば、何とかなり良い考えも出て来るというのは、やはりそこには、土地の資本があれば、何とかなるという、財産が有れば、何とかなるという思いがある。。また貴族的な生活が出来、そこからバトラーとも何とかなれるのではと、考えたかもしれない。それと「タラ」は、何かする場合の心の出発点でもあるということだろう。しかし、この続編は出なかった。原作者の体力が無かったことで、書けなかった。
この心の出発点は誰でもある。この場所に行けば、昔であるが、原点に戻れる。ここから物事が、始まるという風である。私の場合、生まれた村の生活をよく思い出す。そこから、現在を考えている。