kouboudaisiさんのブログ

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恵心僧都源信 「横川法語」より

それ一切衆生、三悪道を逃れて、人として生まるること大いなる喜びなり。
身はいやしくても、畜生におとらんや。家まずしくとも、餓鬼にまさるべし。心に思うことかなはずとも、地獄の苦しみにくらぶべからず。(中略)
また妄念はもとより凡夫の地体なり。妄念の他に別の心なきなり。臨終の時までは、一向に妄念凡夫にあるべきぞとこころえて念仏すれば、来迎あづかりて蓮台にのるときこそ、妄念をひるがへしてさとりの心とはなれり。

世の多くの人々が、疑獄・餓鬼・畜生の三悪道に陥ることなく人間として生まれ出たことは大きな喜びであろう。かりに身分がいやしかろうと畜生に劣ることはないし、生活が貧しくとも餓鬼よりはずっと優っている。自分の思っているとおりに物事が運ばずに苦しもうと地獄の責苦とは比べものにならない。(略)しかし悲しいことにわれわれ凡夫は真実を見誤り邪念に囚われる心が曇らされている。それが現実であり人間の本体(地体)なのである。それならば思い切って妄念を持ったまま生きぬいていくほかにないと覚悟し、死に到まで妄念の凡夫に徹底して、臨終のとき、南無阿弥陀仏と唱えて、仏の本願にすべてを託しお迎えいただければ、極楽浄土の阿弥陀如来の蓮台に乗り、一切の妄念を翻し一転して悟りの心・・往生できるのである。

人は誰でも死に直面した時、心のどこかに往き去っていくあの世のことが一抹の不安となって襲いかかってくるものです。生ある者には必ず死があると分かっていても心の暗雲を拭い去ることは難しい。そしてすべてが無に帰ってしまうと思うと脅えと恐怖がのしかかってくることでしょう。この苦悩を払いのける信仰として「阿弥陀如来の浄土思想」が説かれていった訳です。
比叡山延暦寺横川の天台教学の最高峰であった恵心僧都源信は浄土信仰を本格的に宣布した代表的僧侶でした。日本浄土宗の開祖法然上人も源信の著書「往生要集」を熟読し念仏信仰を広めていったのは周知のことです。








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