堅実さんのブログ
ブルーライトヨコハマ 31年4月18日(木)21時52分
ブルーライトヨコハマ いしだあゆみ
https://www.youtube.com/watch?v=UGaRAiRXoD4&list=RDk_A3H0IEpus&index=20
これは、20歳の時です。団体で工場見学をした時です。この中には大学生もおりました。総勢30名。記憶がはっきりしませんが、静岡か浜松の東レ(当時は東洋レーヨン)、そして遠州製作所、京都の川島織物(京都の西陣織の工場)、大阪の福助を見学しました。全部で3泊しました。名古屋、京都、大阪です。
行程はそれぞれ自由行動で、宿泊先の宿は、同じと異なる場合がありました。携帯電話の無い時代で、連絡は、お互いにほとんど出来ず。宿で次の日の、おおざっぱな、打ち合わせをして、つぎの日は、それぞれ駅で切符を買っての行動でした。しかし工場の集合時間を、決めていたので、大体同じ電車が多かったです。工場見学の後は、また自由行動です。宿泊先と、工場の集合時間が大雑把に、決まっていた程度です。
名古屋の名古屋城の前で、一泊した時です。急にこの歌が思い出されました。
せっかく名古屋城のすぐ前に行ったのだから、城の観光も有ったのですが、疲れてしまって、ホテルの部屋で、一人ポツンと、外の通りを見ておりました。隣の部屋から声がかかり、まとまって、お茶を飲み、夕食を6人で取りました。
その時の歌です。今聞きますと、いしだあゆみの歌い方は、所々、半音符、あるいは半拍子、ずらした歌い方です。こういう歌い方は、非常に難しい歌い方です。よく、こんな歌い方が出来ると、今になって感心しました。
名古屋から鈍行で京都に向かいました。他の人は、急行で、行った人が殆どでした。列車は、すいておりました。その列車で、一人の学生と、一緒になりました。電車の中では、しばらくしてからお互いに気が付いたのです。今思い出すと、この鈍行の旅も、おつなものです。これからやってみたいのは、時間が有りますので、鈍行の電車の旅です。この方が経費は、掛かりますが、非日常の生活ができます。結構面白いと思います。
学生と一緒と言っても、打ち合わせた訳でもなく、電車の中で一緒になったのです。途中、「関ヶ原」の駅で、ここが「関ヶ原の戦」が有った所かと、言ったものです。
京都では、夜は、旅館で一休みして、また1人で、夜の京都の観光に行きました。観光バスです。随分、あれもこれもと、行動したものです。池田屋、おいらん道中をみました。
次の日に、京都で、川島織物を見学してから、観光バスで、比叡山、琵琶湖のコースを回りました。バスの中で、誰だか分かりませんが、一人の女性と一緒になりました。それから、約2時間の観光は、同じ行動をしました。比叡山の根本中堂は、高校の修学旅行で行ったのですが、1人でいくと、感じ方が違いました。2度目なので、それ程、感激がありませんでした。
そしてまた、一人で電車へ大阪です。大阪へは、夜になり詳しく聞いてなかったので、宿探しは少し迷いました。梅田のどこの宿しか知りませんでした。電話も、聞いてません。よくこんな行動をとったと思います。心配になりましたが、見つからなければ、なんとかなるだろうと思っていました。それでもこれからどうやって捜そうと、駅の外で立っていました。
そこで、同じような、また別の学生と会い、暗い夜道を、途中何度も聞きながら、2人で宿を捜しました。考えてみれば、随分無鉄砲です。地図も無く、旅館の名前と、どの辺にあるということだけを頼りに、捜したのですから。よく見つかったものです。
次の日の、大阪の福助の工場では、小学生の、幼なじみが仕事をしておりました。その人とは、それが最後で、その後のクラス会でも行くえ不明の名簿になっております。
帰りは初めて、東海道新幹線で、東京駅まで、戻りました。小さな昔の思い出です。
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すごい記憶力ですね!
シュシュママ さんへ
「すごい記憶力ですね!」
実はそうでは、ないのです。
古い記憶をたどっていくと、次々に古い記憶が、よみがえるのです。
脳の扁桃体か、海馬の記憶領域に、自分では、気が付かない記憶が、蘇るのです。
これは、誰でも、あるはずです。
このことから、性格を変えるのは難しいと思います。
出来るはずですが。