私の実の父親は
本業の塗装職と
刺青の彫り氏と
しては日本では
五本の指に入る彫り氏で九州で別な部屋を借りて彫り氏をやっていた
らしい。その父は妻の私の母にも寝ている間に無痛で彫ったと母は
言っていた。平成の今では無痛で彫るのは可能だが昭和40年頃には
刺青の高い技術力は定評があったらしい。そしてお香り彫りと言う
技術があった、内容は人間の体温が上昇するとフェロモンの香りが
出て来る技術だったが、その技術は今でも彫り氏の中でも幻の技術です。
そんな横の繋がりからか金になれば何でも行う父親をもったのだが
父は何処からそんな情報を仕入れて来るのか知る事は今にしては不可解だ
そして私が産まれて頭が良かったのだが父はそれを目にして天皇が
子飼いの募集を陰で出していたらしく父は4百万円で私を子飼いに出し
みしまの中で暮らす事になった。そして私は皇室で暮らして
いたのだが、昭和40年当時から発明癖があり時代は白黒テレビの時代に
カラーテレビの3原色の方式を編み出したり、して社会に貢献していた。
そんな貢献度を暇しく思い平成天皇である皇太子が趣味でボクシングを
行っていたので私を相手にしてボコボコにして顔が腫れ上がる程にして
しまったのを三島由紀夫が誰にやられたか聞かれ皇太子にやられたと言うと
三島由紀夫さんは皇太子にスパーリングを申し出て敵討ちをしてくれました
が皇太子は三島由紀夫さんを自決まで追い込んで死なせてしまいました。
そして私は昭和天皇の悩み事を聞いて戦争問題を聞く内に解決する為に
日本人の誤解から解いて行こうと思い旅が始まるのです。