岡本 廉さんのブログ
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日記(月記)平成30年(2018年)3月
日記(月記)平成30年(2018年)3月
株取引
-101,530円(1月~/-1,578,778 円)
介護
母入院継続中
マラソン練習
無し
小学6年まで暮らしてた町のデパートが閉店した。
6~7歳の頃、お正月に今は亡き弟と一緒にお年玉や二人で
貯めてたお小遣いを入れた貯金箱を持って4階のおもちゃ売り場へ行った。
八の字のレールの上をリモコンで走らせるレーシングカーが目当てだった。
会計の際、貯金箱を開けて全部出したら5000円弱だった。
2000~3000円ほど足りなくて買えなかった。
帰り道に弟が私の顔を見上げて「なんで買わんかったん?」と困惑したように言った。
私は口をきつくつむんだまま歩き続けた。
おもちゃ売り場の隣には「模型のエース」と云うプラモデルと記念切手を扱う店が在った。
昭和45年頃、記念切手コーナーで7000円位だった「月に雁」を羨望の眼差しで眺めてた。
段ボールらしき素材の筒で出来た5000円の天体望遠鏡もここで買った。
4500円位だった学研の電子ブロックも此処で買った。
或るとき親の財布からお金を持ち出してトランシーバーも買った(翌日、母が返品しに行った)
昭和60年頃に閉店した際、片付けを手伝わせて貰った。
15~16年前のトランシーバーの件で謝ったら、
そんな事、有ったかねぇと言われて、
プラモデルを下さった。
5階にはレストランと催し会場が在った。
ソフトボール大会の帰りにチバ君と呼ばれてた監督さんが皆んなに食事をおごってくれた。
図画コンクールで入賞した自分の絵も飾られてた展示会場へ家族で見に行った。
屋上には遊園地が在り、子どもが跨いで乗る小さな5~6両位の汽車を先頭車両に跨がれてたおじさんが操作してレールの上を走らせてた。
小学1~2年の頃、母と地階の食品売り場へ買物に行ったら同級生の角田さんのお母さんが居て「娘があなたを好いてるんよ」と言われた。
照れ臭いと共に同級生の松村さん(20代で亡くなられた初恋の人)が好きだった事もあり角田さんのお母さんに「イヤ」と返事したら決まり悪そうに母と角田さんのお母さんが苦笑いされた。
この売り場で友だちと一緒に遠足へ持ってくおやつを買ってた。
母が買い物を終える間中、
シュークリーム作りの実演販売をジーッと見てたら、
ひとつ下さった。
スポーツ用品売り場では王貞治のサインボールを買った。
テレビの「柔道一直線」の影響を受けて己斐公民館での柔道教室へ行くのに際してこの売り場で柔道着を買ってもらった。
5年生の時には子ども会のソフトボールの試合に際して野球ユニフォームを買ってもらった。
試合会場の閑静園(己斐中学校が設置される前の空き地)へ行ったらユニフォームを着用してたのは私だけだった。
他の子らは体操着や普段着だった。
レコード売り場の近くにはゲームコーナーとジュークボックスが設置されてた。
一階のスタンドではトコロテンやソフトクリームを食べた。
このスタンドにソックリな昭和の雰囲気が漂うお店が東区牛田のサンベルモ店内に現存する。
私が小学校へ入学するに際して学習机を買いに行く前に(ひろでん会館の向かいに井口家具と云う家具屋さんが在った)
ひろでん会館へ寄ってバーゲンセールの混んでる中で買い物してたら5万円入れてた財布がいつのまにか無くなってたんよ、と母が後年、話してくれた事が有った。
福屋やそごうに比べると12分の1程度(店舗面積2,856㎡)の小規模な小売店だけどエレベーターガールも居た。
エレベーターやエスカレーターに初めて乗ったのも、
ひろでん会館。
子どもの頃の私にとってのデパートとは、
ひろでん会館の事だった。
想い出の場に感謝
https://hiroshima.keizai.biz/headline/2782/
写真元
http://www.geocities.jp/cobaltblue21jp/profile.htm
株取引
-101,530円(1月~/-1,578,778 円)
介護
母入院継続中
マラソン練習
無し
小学6年まで暮らしてた町のデパートが閉店した。
6~7歳の頃、お正月に今は亡き弟と一緒にお年玉や二人で
貯めてたお小遣いを入れた貯金箱を持って4階のおもちゃ売り場へ行った。
八の字のレールの上をリモコンで走らせるレーシングカーが目当てだった。
会計の際、貯金箱を開けて全部出したら5000円弱だった。
2000~3000円ほど足りなくて買えなかった。
帰り道に弟が私の顔を見上げて「なんで買わんかったん?」と困惑したように言った。
私は口をきつくつむんだまま歩き続けた。
おもちゃ売り場の隣には「模型のエース」と云うプラモデルと記念切手を扱う店が在った。
昭和45年頃、記念切手コーナーで7000円位だった「月に雁」を羨望の眼差しで眺めてた。
段ボールらしき素材の筒で出来た5000円の天体望遠鏡もここで買った。
4500円位だった学研の電子ブロックも此処で買った。
或るとき親の財布からお金を持ち出してトランシーバーも買った(翌日、母が返品しに行った)
昭和60年頃に閉店した際、片付けを手伝わせて貰った。
15~16年前のトランシーバーの件で謝ったら、
そんな事、有ったかねぇと言われて、
プラモデルを下さった。
5階にはレストランと催し会場が在った。
ソフトボール大会の帰りにチバ君と呼ばれてた監督さんが皆んなに食事をおごってくれた。
図画コンクールで入賞した自分の絵も飾られてた展示会場へ家族で見に行った。
屋上には遊園地が在り、子どもが跨いで乗る小さな5~6両位の汽車を先頭車両に跨がれてたおじさんが操作してレールの上を走らせてた。
小学1~2年の頃、母と地階の食品売り場へ買物に行ったら同級生の角田さんのお母さんが居て「娘があなたを好いてるんよ」と言われた。
照れ臭いと共に同級生の松村さん(20代で亡くなられた初恋の人)が好きだった事もあり角田さんのお母さんに「イヤ」と返事したら決まり悪そうに母と角田さんのお母さんが苦笑いされた。
この売り場で友だちと一緒に遠足へ持ってくおやつを買ってた。
母が買い物を終える間中、
シュークリーム作りの実演販売をジーッと見てたら、
ひとつ下さった。
スポーツ用品売り場では王貞治のサインボールを買った。
テレビの「柔道一直線」の影響を受けて己斐公民館での柔道教室へ行くのに際してこの売り場で柔道着を買ってもらった。
5年生の時には子ども会のソフトボールの試合に際して野球ユニフォームを買ってもらった。
試合会場の閑静園(己斐中学校が設置される前の空き地)へ行ったらユニフォームを着用してたのは私だけだった。
他の子らは体操着や普段着だった。
レコード売り場の近くにはゲームコーナーとジュークボックスが設置されてた。
一階のスタンドではトコロテンやソフトクリームを食べた。
このスタンドにソックリな昭和の雰囲気が漂うお店が東区牛田のサンベルモ店内に現存する。
私が小学校へ入学するに際して学習机を買いに行く前に(ひろでん会館の向かいに井口家具と云う家具屋さんが在った)
ひろでん会館へ寄ってバーゲンセールの混んでる中で買い物してたら5万円入れてた財布がいつのまにか無くなってたんよ、と母が後年、話してくれた事が有った。
福屋やそごうに比べると12分の1程度(店舗面積2,856㎡)の小規模な小売店だけどエレベーターガールも居た。
エレベーターやエスカレーターに初めて乗ったのも、
ひろでん会館。
子どもの頃の私にとってのデパートとは、
ひろでん会館の事だった。
想い出の場に感謝
https://hiroshima.keizai.biz/headline/2782/
写真元
http://www.geocities.jp/cobaltblue21jp/profile.htm
こんばんは。
思い出は良いですね。
ぺっ様さまに良い思い出があって良かったと思いました^^
12歳の時に中区の江波と云う三菱造船所の在る工業地帯に近い町に引っ越して以降、
良い思い出は殆ど有りません。
57年の人生を振り返るとあの頃が幸福のピークでした(~_~;)
こんばんは。
うーん・・・。
私なんかも幸福のピークは高校生の頃だったかも?などと思います(笑)