堅実さんのブログ

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ねこ柳の花 30年3月19日(月) 22時01分

 今年は、3月になり暖かい日が続く。お彼岸の中日が近づく。小学4年の時、お婆さんが亡くなり、初彼岸の時である。

おばさん(お婆さんの子供)が、「初彼岸だから、どこかに、花が咲いているから、探していってもらってこい。」と言う。


その年は寒くて、彼岸の頃は、今でもそうだが、とても花など咲いていない。それでも、あるかと思い、姉と二人で、2つの村を通りながら、どこかの家の庭に咲いているかと捜した。やはり無い。梅が咲いたか、どうかという時に、花など咲くわけはない。


 もう少し歩いて、諦めて帰ろうとしたときに、田んぼのあぜ道を歩きながら、ふと見ると、柳の枝に銀色の花が咲いている。その隣はお寺で、寺の脇の民家の庭である。お寺の力かと思う。その前は小さな小川があったと思う。


 咲いていたと、姉とびっくりしていると、姉が「この家に行ってもらってこい。」という。姉は静かな人で、何かあると、私が代役になることが多かった。そこで、その家の庭から中に入り、玄関で事情を話す。家の人は「どこの家だ。」と聞く。「隣村の誰々の家だ。」と話す。その女の人は剪定はさみで、枝を5,6本切ってくれた。


 急に、辺りが明るくなったようだった。嬉しくなり、姉とお礼を言い、家に帰る。おばさんも喜んでくれた。さっそく、花瓶に生ける。


 話はこれだけである。そして年月が経ち、姉も、おばさんも、亡くなった。年月は、経つ。

これと関連して、思い出すのが、孟宗(もうそう)竹である。中国の故事である。雪の降り積もった、未だ春のこない寒い時に、孟宗の母親が、臥せっていて「筍が、食べたい。」という。


地面が雪で覆われているのに、タケノコが芽を出すには早すぎる。それでも、孟宗は、母に、最期であるので、せめて、食べたいものを食べさせたいと思い、竹藪に行ってみる。しかし無い。


それでも捜していると、地面のほんの少し、雪が融けていて、そこに、1本の筍が生えている。これは奇跡である。喜んだ、孟宗は、丁寧に筍を掘り出して、家に持ち帰り、母親に食べさせるという話である。


 孟宗竹ではないが、このねこ柳の花(芽)は、気持ちが天に通じたのかと、思っている。そして、いつしか、家族の兄弟がいなくなり、残ったのは私一人である。相談する人もいない、孤独というよりは、「残った一人である」を感じる。


 そして、あの柳はどうなったかと、思い出す。機会があったら、その木を再び、訪れたい。そして、その家の人に、その時のことを話してみたい。

 



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