ちょっと前のみんかぶのブログで、
「お金は個人のものじゃなく国家のものである―」
というような趣旨で文章を書かれている人がいて、
そうなのかー
と思う反面、いやいや、そうじゃない点もあるんでは?
とも思った次第で。(以下本文参照)
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でもって、思いついたのが表題
「仮想通貨と国家論」
察しのいい人は、これだけで、これから書く内容を
大体わかってしまうと思うけど。
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国が国であるための要件って、何だろうか?
国際法人格としての国家は、次の要件を要する。
a 永久的住民
b 明確な領域
c 政府
d 他国と関係を取り結ぶ能力
(余談)
領域…「領土」と思ってました。地面に限らなければ、船の上でも良いのか?
そういえば、「亡命政府」などというのもあるが。。
学問的にはこんな感じ。
それはそれとして、
国家は、政府が国民を支配するという構造を持ち、、
支配するために様々なツールを用いている。
為政者による民衆の支配という構造は、いつの時代も変わらない。
支配のためのツールが、徴税権であったり、通貨発行権であったりする。
(通貨発行権は、厳密には、政府ではなく、中央銀行にある。
それを、どの様に解するかで世界観が変わる……かもしれない)
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支配者と被支配者の権力闘争は、陰に陽に、常に存在する。
例えば、多国籍企業による納税忌避行動は、徴税権に対する挑戦と
為政者には受け止められる。
ゆえに、移転価格税制などにより、多国籍企業に対抗する。
国家の中には、低い税率で、企業を誘致しようとする国も当然現れる。
その結果、企業が国家を支配するという逆転現象も、
目に見えないところで行われているかもしれない。
米国のトランプ減税も、企業サイドによる国家の支配の活動の結果かもしれない。
ただ、国家も多国籍企業の活動を黙って見てはいない。
様々な規制で、対抗する。ロシアや中国などは、それを最も露骨にやっている。
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で、仮想通貨。
仮想通貨は、通貨発行権に対する挑戦と受け止められる。
もし仮に、とある仮想通貨が、自国通貨と同等の信用力を持ち、
決済手段となり得たとしたら、何が起こるか?
直観的には、国家による金融政策が機能しなくなる、という事が想像される。
(中央銀行が、国家から独立しているという幻想は持っていない)
仮想通貨の通貨発行量は、誰がコントロールするのだろうか?
おそらく、それは、国家から独立できる程度の資金力を持つ人(法人・自然人)
が支配することになる。
そんな巨額な資金力を持つ人は……いないことは無い。
特定個人でなくとも、複数人がまとまれば、国家がコントロールできない力を持つ事もありうるかもしれない。
それは、国家の支配層から見れば、容認できないことかもしれない。
だから、中国は、仮想通貨を厳しく規制した。
それは、支配層が支配するためのツールを脅かすものと受け止められたからだ。
以前は、仮想通貨の所有者の9割は中国人だった。
中国人富裕層が、財産を元から仮想通貨に移し、国家からの支配から逃れようとした。
それを阻止するという中国政府の行動は、支配層から見れば合理的な行動だった。
今は、仮想通貨の所有者のかなりの部分を日本人が占めている。
中国人にとっての仮想通貨は、厳しい国家統制から逃れられるという付加価値があったが、
日本人にとっての仮想通貨は、そのような付加価値があるのだろうか?
甚だ疑問。
また、日本政府も中国政府程には露骨に民衆の支配を前面には出してこないが、
徴税権、警察権等、様々なツールで民衆を支配するという事は変わらない。
それに対する脅威と認定するならば、容赦なく、規制をかけることになる。
通貨は国のものである。そのことを露骨に表明する可能性は高いと思う。
例えば、仮想通貨で、●億円儲けましたーとか、景気の良い話をよく聞くけれども、
国家が、仮想通貨の自国通貨への換金を認めない。
というルールを定めたならば、その瞬間、その儲けは、絵に描いた餅になるかもしれない。
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もっとも、裏切り者の他国が、その国の通貨への換金を認め、
その通貨から自国通貨への換金が行われれば、その統制は意味がなくなるかもしれない。
実は、弱小国家が、自国通貨の発行権を維持することは、
グローバル化の進む現代では、困難なことであったりする。
EU、ユーロは、その結果により登場したものであり、
ユーロの信用力の根源は、ドイツの国力によるものであり、
ゆえに、周辺のEU参加国は実質的にドイツに頭の上がらない状態になっている。
(英国は、ドイツに支配されることを本能的に嫌った。
そのことは、英国の独立性を守ることになるだろうか。)
仮想通貨を、有力な多国籍企業がまとまって、
その影響力を行使できる企業の決済手段として用いることを決めたなら、何が起こるか?
例えば、自国通貨と他国通貨の為替差による為替リスクを回避できるかもしれない。
(もっとも、仮想通貨と自国通貨の換算レートの変動リスクが大きいかもしれないが)
為替リスクの回避や、決済コストの削減を理由に、
多国籍企業が仮想通貨を利用するという未来は、容易に想像できる。
その結果として、仮想通貨の価値が上がり、国家の発行する通貨の価値が下がる
という可能性はある。
更には、納税を仮想通貨で行うという事も、自国通貨の弱い国では、可能になるかもしれない。
そして、全世界で自国通貨が駆逐され、仮想通貨に支配される………
(その時に、世界を支配するのは、もはや国家では無いかもしれない。)
その可能性は、お金は国家のものである、という考え方を否定することにつながる。
だけど、国家が、それを許すのかな?
素朴に、そんな疑問も当然浮かぶ。
「国をなめるな!」
そんな声も聞こえそう。ゆえに、仮想通貨に対する規制は、より厳しいものになる。
という事は、容易に予想される。それがいつか?という事は、分からない。
もしわかるのなら、仮想通貨に対する売りで大儲けが出来そう。
一方で、仮想通貨をも国家が支配しようとする可能性もある。
具体的にどうやるかは、分からないけど。
例えば、既存の仮想通貨を全て禁止しするとともに、自国通貨を仮想通貨化する。
中国ならやりかねない気もする。
そうなると、お金は、やっぱり国のものという事になるのかな?
うだうだ考えたけど、結局よくまとまらなかったので、今日はここまで。