自分で運転していた車の交通事故が元で、色盲になってしまう。
この世のすべてが黒と灰色に見える。
もう絵を描くことができない。
そんな風に絶望してしまった男性が、
オリヴァーの元へ訪れる。
オリヴァーは信頼のおける仲間の医師たちを呼び集め、
その男性を助けるべく、診断・熟考するのだった。
★「火星の人類学者 ~脳神経科医と7人の奇妙な患者」
オリヴァー・サックス著 吉田利子訳 ハヤカワ文庫 2014.4.15.六刷
「色盲の画家」より
さまざまなテストと診断描写の合間に、
それまでの大脳と色覚に関する研究史が回想されていく。
1666年、ニュートンのプリズムを使った光の実験による考察。
1802年、トーマス・ヤングは3種類の光の受容体が眼に存在すると唱えた。
その50年後、眠っていたヤングの説をヘルマン・フォン・ヘルムホルツが復活させた。
1884年、ヘルマン・ヴィルプラントは、脳の第一次視覚野には
光・色・形を認識する中枢があると推測した。
ところがここで、十七世紀のロックによる「感覚哲学」を推奨する学派がこれを邪魔し、1974年まで臨床研究が中断してしまう。
途中、詩人のゲーテが「色彩論」を発表し、先のヘルムホルツがこれを絶賛。
また、クラーク・マックスウェルが色の三原色を発見。
1957年、インスタントカメラとポラロイド発明者エドウィン・ランドが、
マックスウェルを上回る実験に成功し、
「色は脳内で組み立てられている」という理論に辿りつく。
1973年、セミール・ゼキがV4と呼ばれる色彩中枢:有線前野を発見。
ゼキの発見が揺るぎない証拠となっていき、
またMRIなど様々な画像機器の進展により、
「色は脳内で組み立てられる」というランドの説が、
実証されてきているという。
ここまでくるのにニュートンから、ざっと350年。。
*
黒と灰色の世界の住人となった男性は、
オリバーと接しているうちに、絶望の淵からみずから這い上がった。
「色を脳内で組み立てる」という能力は破壊されたままだったが、
男性は、黒と灰色の世界に、新しい魅力を見出し、
黒と灰色の世界の絵で、画家として復活を果たしたのだった。
書籍巻頭には、彼のみごとな作品が掲載されている。