平清盛公は、青春時代に發狂した。いやさ狂人よりも狂人になった。ひととして、してはならぬことをし、言ふてはならぬことを言ふた。
これでは、ならぢと親代わりに清盛公を育てた,お爺さんが、清盛公のもとへと、意見しに行った。
話も夜半に入ると、つひに清盛公は、泣きながら告白を始めたのだ。
自分は、ほんとうは父の子ではなひのだ。
母が女房として参内してるときに、帝(ミカド)の御手付きがあり、わが家に,降(くだ)しおかれて、産まれたのが自分だと。
お爺さんは、黙って話を聞き終わると、「これよりは、天地を父と覺(おぼ)せられよ。」と言い置いて去ってゆくのです。
そのとき、清盛公は、胸中、ハッと悟るところがあったのです。
それよりは、平氏の棟梁として、盛大な人生をきりひらいてゆくのです。
出所;吉川英次「新平家物語」
それは、昭和の御世に書かれた小説。
昭和の日本人のこころを傳(つた)ゑる文章。
あぁ、それなのに、神奈川県座間市の猟奇事件。あれは、一體(いったひ)なんなんだ?
白石隆浩容疑者の涙の意味がボクには、分からぬ。
さらに、不吉を感じるのは、座間市と言へば、米軍極東指令所・キャンプ座間に隣接したところ、さぞや某国のスパイも多からふ。
ここまで、ブログにつけると、かなりアブナイ、きわどい話になりまする。
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