反政府運動の激化で死傷者が出たタイの首都バンコクに非常事態が宣言された。同国の経済発展は、これまでの安定があったからこそ。反政府団体も政府もここは自制し、話し合いをするしかない。
今回の混乱は二〇〇六年九月、強力なリーダーシップを発揮してきたタクシン元首相の軍事クーデターによる失脚に始まる。その後の〇七年十二月の総選挙で元首相派の「国民の力党」が第一党となり、就任したのが元首相の腹心だった現在のサマック首相だ。
いったん帰国したタクシン元首相だが汚職などの罪で実刑判決が免れなくなり先月、英国に亡命したことから反政府運動がまた盛り上がった。市民団体「民主主義のための市民連合(PAD)」は先月下旬から、「サマック政権はタクシン元首相のかいらいだ」と退陣を求め数千人で首相府を占拠し始めた。二日未明、政府を支持する市民グループとの衝突で一人が死亡する流血の事態となった。
反タクシン派とタクシン派の対立の背景には、経済発展で豊かになった都市部と、取り残された農村部との格差がある。反タクシン派はバンコクに住む中間層が主体で、一族が巨万の富を築いた元首相の汚職体質が許せない。しかし農村部では、約五年間の在職中に貧困層向けの政策を打ち出した元首相を今も支持する。
首相府占拠から一週間以上になり、どちらも手詰まりの状態だ。サマック首相は、元首相の亡命で後ろ盾を失っている。PADもタクシン政権打倒の大規模デモが軍部のクーデターにつながった二年前の再現を期待したが、空振りに終わった。市民の多くも今回は混乱を嫌って距離を置き、賛同者は少ない。サマック政権を倒しても、再び総選挙をすれば農村部に人気のタクシン派がまた勝つだけとの見方が強い。
民主主義が定着し政情の安定が続いてきたタイには外国企業が相次いで進出し、この地域の発展をけん引してきた。日本からも四千社以上が進出し、四万人以上の日本人が暮らしている。
双方とも、一九九二年の騒乱の時のように国民の敬愛を集めるプミポン国王による仲裁に望みをつないでいるのかもしれない。混乱の長期化で、観光客の減少など国内経済に影響が出始めている。