ほんま そうかいさんのブログ
平成相場三昧伝 昭和残影(泣く男)
「わたくすといふ存在に、さふいふ性質があるのなら、一死万死(いっすばんす)に値ひすますーっ。」と報道陣に取り囲まれて、
竹下登総理大臣は、声を放って男泣きに泣くのでした。
その泣きようは、テレビで見ていても、尋常ではなかったなぁ。
顔が崩れて行くーっ!このひと、ほーんと、頭おかしくなったんぢゃなひの。
待てよ!これに類した絵画を見たことがある。
それは、パブロ・ピカソの名画「泣く女」。
リクルート事件のさい、国もとの秘書に、首吊り自殺されたときの出来事。
さらに皇民党事件。竹下さんの地元の右翼が上京して、街宣車で「竹下さんにまかせりゃ、大丈夫」とかなんとか。いはゆる「褒(ほ)め殺し」。佐川急便事件だったらふか。
あっさりと総裁選を降りてしまふ竹下さん。
ここまできて、なんかヘンだぞと思ったジャーナリストがいた。
そこで島根県に取材に行った。
やっぱり出てきた竹下さんの、ある過去。
陸軍に召集された竹下さんは、鳥取砂丘の駐屯地で、少尉をしていた。そこに、ある夜、新妻が訪ねてきた。
そして、涙ながらに、打ち分けるには、・・・・・・義父に犯された。
しかし、竹下青年は、「お前にスキがあったからだ」と妻を追い返してしまった。
次の日の朝、駐屯地の隣の松林で、妻は、首をつって、死んでいた。
竹下青年は、陸軍特攻隊に志願して、上陸してくる米軍と刺し違えて死なふと猛訓練にあけくれたが、その日は、つひに来なかった。
ポツダム中尉として、故郷の町に帰ってきた竹下さんを見て、周りの人間は、みな驚いた。性格一変。あの帝国軍人の面影は、まるでなひ。いつでも、だれにでもニコニコと柔和に笑ふ。
そして戦後が始まった。
神無月 ひのとう日 ほんまそうかい記
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hmurayamaさん。コメントありがとうございます。
竹下氏は、島根県の造り酒屋の17代目。
前職は、中学校の英語教師。
ま、このくらいの御方なら、ボクの身の回りにもいるし、それと旧家の造り酒屋って、この手のアヤマチが起きやすいと聞きます。と言うと、鹿児島県下の焼酎醸造元が、みな怒るかも。よって、竹下氏の心が、まるでてんで分からないと言うことは、ないです。
それに較べて、岸氏は、東大法学部を首席で出た?
エリート官僚コースを突っ走り、A級戦犯として、GHQに捕えられたような御方。ボクの身の周りには、いないです。
こうなると、ちょっと岸氏の心事までは、分かりかねます。
拝。
こんばんは。
岸信介氏のことですが・・・。
A級戦犯容疑で巣鴨プリズンに3年拘束されました。
不起訴になって出所。
「政界の妖怪」とも言われた人です。
左翼の人には悪評の安保をアメリカと結んだ人です。
彼がやったことは安保改定だけではありません。
最低賃金法と国民年金法を成立させました。
国民年金法については批判もあるとは思いますが、年金法は、それまでは公務員や大企業の社員しか恩恵にあずかれなかったものです。
公的年金の受給対象を一般の国民に広げたわけですから画期的なものだと思います。
岸内閣のときに社会保障や福祉の基礎が作られました。
それは評価してよいのではないでしょうか?
888ちこさん。おはようございます。
「岸内閣の時に、社会保障や福祉の基礎が作られました。」。すなはち岸さんは、社会主義者だったのです。
天皇を首長とする国家社会主義者だったのです。
戦前の日本は、天皇を家長とする家族(含む朝鮮人・台湾人)だったのです。
別にボクは、個人的には、それで一向に構いませんけど。
拝