ほんま そうかいさんのブログ
平成相場三昧伝 還暦記念速習49日間(死の哲学)
☠チベットの死者の書を讀む第24日目
さぁ~て、やってきました稲川淳司センセのシーズン・稼ぎ時。
幽霊考
實は、ボクは、ハッキリと幽霊を見たことは、いまだなひ。
でも一度、島津家の17世紀ぐらひの墓地で、一種の見靈体験をしたことは、ある。
たしかに、この種の體験(たひけん)は、言語化すると、やっぱ嘘になりがちだ。この空間のなかに靄(もや)が立ち始め、そこに割れ目が生じ、光がその割れ目から見えた。う~ん、これをして見霊といへるかだふか…。疑問。気のせいだと言われれば・・・・それで、おはり。
C.G ユングは、この手の異界の存在に出合った際に感ぢる恐怖感を、ヌミアーゼ(かなり不確実な用語???)と呼んでゐるが、この独特の感覚は、伝えずらひ。
ただし東日本大震災に伴ひ東北の町では、幽霊の目撃談は、日常化してゐるみたひだ。
やっぱり急死は、ポワ(転生)の失敗につながりやすいらしひ。
これは、チベットの事例で、チベット人が中国人のトラックにはねられて死んだ。たまたま、そこに居合わせたチベット僧が、その死者の耳元でマントラを唱ゑると、死者は意識を取り戻した。
さらに、そのうゑで、ポワをとりおこなひ、死者を死に導ひた。
これは、現地に居合わせた西洋人に目撃されてゐる。
亡命したソギャル・リンポチェ師に言わせると、「死者を、よりよき再生へと導いた。」。
幽霊とは、死の苦しみや悲しみにとらわれて、再生へのプロセスを歩みだせなひ人、もしくは、魂しひだ。
戦争の被害者、自殺者、事故死者、殺人による死者。これらの人は、やっぱり転生がうまくいかないな。
そして、言わなければならなひのは、うちの母方には、ひとりゐるのです・・・・・・自殺者が。
母の弟、つまり叔父は、當時さかんだった学生運動に巻き込まれて、失踪した。北九州市にある大學だったので、一説には、北朝鮮へと渡った。母と祖母は、懸命に警察へと訴えたが、サヨクだったためか、とりあってもらえなかった。
おもいあまった母と祖母は、桂小金治アフタヌーン・ショウの人探しコーナーに出演しようとしたことを、幼心に憶えています。
その後、霊能者(密教系)に尋ねにいった祖母は、「このひとは、死んでいます。」と告げられたのでした。
さぁ~て、この四十九日間は・・・・死の哲学さふも言ゑやふ。
ただし、叔父を弔ふ、いはばポワの行でもあるのですぞ。
第24日目 おはり