小督さんのブログ
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アンネのバラの教会 (兵庫県西宮市)
Souvenir d'Anne Frank 1960 Delforge、アンネの形見のバラ。
アンネとは言わずと知れたアンネ・フランク、
「アンネの日記」の著者です
アンネを偲んでベルギーの園芸家によって栽培され、つぼみの時は赤、
開花すると黄色味を帯びたオレンジ色、そして再び赤色に変色します
「勇気の人・杉原千畝」の展示がされていた、
「アンネのバラの教会」に行ってきました(5月13日)
外交官であった杉原千畝氏は第二次世界大戦時、日本政府の命令に背いて、
ナチスの迫害を逃れようとするユダヤ人難民に日本通過のビザを発給し、
6000人の命を救ったと言われています。
2015年には唐沢寿明さんの主演による「杉原千畝」が公開されていましたね
この時代のことは、私は幾度となく触れる機会がありました
思えば、私の小学5年生の夏休みの自由研究が「ホロコースト」でした
当時はそんな大それた考えはなく、
ドイツ人が同じドイツ人を迫害することに不思議に思っただけでしたが、
この時代と私とは不思議な縁みたいなものがあるようです
その後もヘブライ語を勉強する友人からの誘いで
シナゴーグの人達と八百津にある「杉原千畝記念館」を訪ねたり、
エルサレムにあるYad Vashem (ホロコースト記念館) まで出かけております
蛇足ながら、Yad Vashemの中に「諸国民の中の正義の人」と認められた人の名が
書かれた植樹があり、私は「杉原千畝」の名を探したのですが、
植樹が多い上に、当時はどこに誰の植樹がなされているか書かれているものがなく、
結局見つけることができませんでした
アンネのバラの教会
アンネとは言わずと知れたアンネ・フランク、
「アンネの日記」の著者です
アンネを偲んでベルギーの園芸家によって栽培され、つぼみの時は赤、
開花すると黄色味を帯びたオレンジ色、そして再び赤色に変色します
「勇気の人・杉原千畝」の展示がされていた、
「アンネのバラの教会」に行ってきました(5月13日)
外交官であった杉原千畝氏は第二次世界大戦時、日本政府の命令に背いて、
ナチスの迫害を逃れようとするユダヤ人難民に日本通過のビザを発給し、
6000人の命を救ったと言われています。
2015年には唐沢寿明さんの主演による「杉原千畝」が公開されていましたね
この時代のことは、私は幾度となく触れる機会がありました
思えば、私の小学5年生の夏休みの自由研究が「ホロコースト」でした
当時はそんな大それた考えはなく、
ドイツ人が同じドイツ人を迫害することに不思議に思っただけでしたが、
この時代と私とは不思議な縁みたいなものがあるようです
その後もヘブライ語を勉強する友人からの誘いで
シナゴーグの人達と八百津にある「杉原千畝記念館」を訪ねたり、
エルサレムにあるYad Vashem (ホロコースト記念館) まで出かけております
蛇足ながら、Yad Vashemの中に「諸国民の中の正義の人」と認められた人の名が
書かれた植樹があり、私は「杉原千畝」の名を探したのですが、
植樹が多い上に、当時はどこに誰の植樹がなされているか書かれているものがなく、
結局見つけることができませんでした
アンネのバラの教会
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おはようございます
子供の頃に「アンネの日記」を読んでいる人は多いですね。
私はアンネの言葉のダイジェスト版こそ知っていますが、
「アンネの日記」はまともに読んでいないんです…
それより、裕福な家庭が一変して、隠れ家に逃げ込んだ経緯の方に、
関心を持っていました
杉原千畝氏は八百津町の出身で、
「杉原千畝記念館」の近くに「人道の丘公園」がありました。
モニュメントや鐘がありましたね
こんばんは
仰る通り、ここの教会は比較的若い教会です。
(…と言っても37年目)
創案者とアンネのお父様オットー・フランク氏の交流を経て、
献堂されたそうです。
資料館も併設され、アンネが使用したスプーンや靴べら、
切手入れなどがフランク氏から寄贈されていました
甲陽園といえば、ツマガリも思い浮かべますね