正しい教えの模造が消滅しかけていた時、常不軽菩薩は男の僧であれ、尼僧であれ、男の信者であれ、女の信者であれ、会う人ごとに近づいて言った。「長老たちよ、私はあなた方を決して軽蔑しない。あなた方は軽蔑されない。なぜならあなた方はみな、さとりを求める修行をしたら、完全なさとりを開いて、世の尊敬を受けるに値する如来となるだろうから」 会う人ごとにすべての人に近づいて、このように話しかけ、あいてが僧であろうと、尼僧であろうと、男の信者であれ、女の信者であれ次ののように言うだけであった。「妹たちよ、私はあなた方を決して軽蔑しない」ところが彼に声をかけられた者は、ほとんどみな、怒り、悪意をいだき、不快の意を示し、罵り、悪口を言った。「なぜこの坊さんは、頼まれもしないのに、われわれに軽蔑の心を持たないと宣言するのか。われわれがこの上ない完全なさとりに到達すると予言するのは、僧みずからを軽蔑するものだ。われわれは現実に存在しないものを望みはしないのだ」
このように罵られながら多くの歳月が過ぎた。しかし彼はだれに対しても怒らず、また悪意を持たなかった。彼からこのように声をかけられた人々は、彼に土塊や棒を投げつけたが、彼は遠くから大声をあげて、「私はあなたがたを軽蔑しない」と叫んだ。
ところが、常不軽は死期が迫り、まさに死に瀕したとき、「正しい教えの白蓮」という説教を聞いた。だれかが語った空中からの声(心の中で)この説教を聞いて、この説教を理解し、完全に清浄な目、完全に清浄な鼻、完全に清浄な耳、完全に清浄な舌、完全に清浄な身体、そして完全に清浄な心を得た。彼はこの感官の清浄さを得るやいなや、さらに二十千万・十千万・百万・十万の寿命を加えて、その間「正しい教えの白蓮」という説教を説いた。そして、かつて彼が「私はあなた方を軽蔑しない」と声をかけ、常不軽と名つけた高慢な人々は、僧も尼僧も、男女の信者も、いずれも彼の勝れた神通の威力・誓願の速さの威力・知恵の力の威力を知って、彼の教えを聞くために、みな彼の随行者になった。彼らすべて、また他の幾千万・百万・十万の多くの生命ある者も、彼によって、この上もなく完全なさとりに到達するものとされた。
この完全にさとりに到達した常不軽菩薩こそは、ほかならぬ釈尊であったのである。他人の長所を見つけて、それをほめ、ほめることによって、その長所を伸ばすことは大切なことである。叱られたら、せっかくの長所も萎縮してしまうのである。
山本五十六の言った諺にも「やって見せ、やらせてみて、褒めてやらねば人は育たじ」という言葉があります。
私の社会人になってからの経験ですと、そのような上司に出会ったことはありません。そのような先輩に株式投資の指導をして貰いたいものです。