呂宗助左衛門(るそんすけざえもん)は、戦国時代の和泉堺の貿易商で本名は納屋助左衛門。
「太閤記」(豊臣秀吉の生涯を綴った伝記)によると、今の台湾やフィリピンとの交易で財をなした豪商ということになっていますが、謎の多い伝説的な人物で詳細はよく分かっていません。
呂宗助左衛門で最も有名なお話は、千利休と組んでルソン壺といわれる茶器を高値で売って大儲けしたことです。
このルソン壺なるものは、当時のフィリピンでは道端に転がっている二束三文のタダ同然の品物で、このエピソードは呂宗助左衛門を主人公とした1978年の大河ドラマ「黄金の日々」で詳しく描かれています。
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天下人豊臣秀吉をはじめとして、十数名の大名たちの居並ぶ大阪城内の一室で、呂宗助左衛門と千利休は1個1万貫のルソン壺を諸侯に売りつけようとします。
貫というのは戦国時代の通貨で、現在の貨幣価値に直すと諸説ありますが1貫15万円という説が有力です。 なので1万貫というとおよそ15億円といいうことになります。
その1個1万貫のルソン壺が十数個。諸大名の前に並べらて、セリにかけられます。
しかし、いくら諸侯たちが茶器に素人とはいっても、さすがに現地では道端に転がってるような品物です。どうみてもそれほど高価なモノには見えません。 千利休が値段をつけたとはいっても、誰一人買いたいと手をあげる者はいません。
内心千利休を快く思っていない豊臣秀吉は (ざまあみろ) と思いながら意地悪くこう言いました。
「ほれほれ、エラ~イ利休先生が値段をつけたんだぞ、誰も買わないのか」
秀吉に促されて、四国土佐の大名、長曾我部元親がしぶしぶ手をあげて
「まあ、銭、1千貫ほどですかな。」
続いて薩摩の大名、島津義弘が
「大きいのに2千貫、小さいのに1500貫で買いましょう」
と言いました。 あとの大名たちは互いに顔を見合わせて「まあそんなとこでしょうな」といった感じ。
千利休に一泡吹かせてやったと喜ぶ豊臣秀吉。 と、その時でした。
「またれ~い!」
バカでかい声を発したのは四国伊予の大名、安国寺恵瓊です。
「殿下(秀吉)の茶道の指南役である千利休殿が1万貫の値をつけたものを、千や2千で買うのはおかしい。1万貫で買わないというのであれば殿下の名を汚すことになる」
と言い放ち、さらに
「わしは1万貫で買う」
と思いっきり言いました。
この恵瓊の一発で衆議一決。諸侯は争うようにルソン壺を1万貫で買い求めていったのでした。
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もちろんこのお話はフィクションですが、ルソン壺を売ったというのはホントの話。 一説によると、ルソン壺は現地人が便器に使っていたものだったともいわれています。
それがばれたのかどうか分かりませんがその後、呂宗助左衛門は秀吉の怒りをかって国外へ追放処分となってしまいます。
助左衛門は日本人町のあったルソンへ脱出しましたが、その後の消息は不明。
現地で死んだともカンボジアへ渡って、そこで豪商として復活したともいわれています。
大坂府堺市とマニラには、今も呂宗助左衛門の銅像があるそうです。
https://www.youtube.com/watch?v=wg-jzOILYBA