赤トンボが飛ぶ!

サンサンさん
サンサンさん
ぼうや~ よいこだ ねんねしな~♪

爺の「日本昔話」だよ~ん。

てなわけで はじまり はじまり

チョ~ン〔拍子木の音ですよ〕

明日、8月15日は終戦記念日〔正確には、敗戦記念日〕ですね。

私は、昭和18年生まれですから、もちろん当時2歳の可愛い?幼児では、なにも記憶にありません。

ただ、中学生の時、体育の時間が雨降りで中止になると、男の体育の先生が、よく名古屋の空襲の話しをしてくれました。

「アメリカのB29爆撃機が編隊で飛んでくると、それを迎え撃つために赤トンボ〔複葉式翼の練習機〕がフラフラと飛びあがる。もちろんB29爆撃機の飛行高度に届くはずもないのだが、飛ばせる飛行機がなかった」というような話しだった。

名古屋城には練兵場がありました。

私たちは「練兵」と呼んででました。

何年頃か、記憶がさだかでないが、まだ名古屋城の天守閣が再建される前、お城内の広場に飛行機が10機ほどならべられていました。

その中には、名機零戦とともに徳田両大尉が操縦した日本最初の飛行機〔複葉式翼の車輪の代わりにソリがついていた〕もありました。

もちろんすべて実機です。

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大正2年3月28日。 日本初の飛行機事故の犠牲者の一人として木村・徳田両大尉が殉職なさいました。
徳田金一大尉は明治40年(1907)士官学校を卒業。
45年(1912)に選抜されて飛行機練習生となる。
大正2年(1913)青山練兵場よりブレリオ式飛行機を操縦中、所沢飛行場東方で、突風により右翼の支柱が切断し、墜落。
同乗の木村鈴太郎中尉とともに死亡しました。
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さて、私と天下さまの終戦は、いつのことになることやら・・・。

やれやれ。
6件のコメントがあります
1~6件 / 全6件
イ-スタ-島のモアイさん

こんにちは!

正しく

>巨大マグロにイワシが戦いを仕掛けているようなものですから・・・

戦う前から勝敗は見えていますな。

で、「白旗」を、いつも用意しています。

ハイ。

「水滸伝」第14巻を読み終わりました。
まつぴょんさん

こんにちは。

今日の夕刊に「いまや還暦の年代も『戦争を知らない子供たち』になった」とありました。

自分の歳から終戦の年を知るのは、私たちの年代まででしょうね。

私の盆休み中の仕事は「旅行参加者の確認」ですが、これは、私も招待されているので「仕事」といえるのかどうか疑問ですな。
サンサンさん

今日は終戦記念日ですね。

私の両親(故人)から聞いた話によると、終戦があと1週間延びていれば、この世にモアイは存在しなかったそうです。
(だれだ!その方が良かったと言っているのは?)

サンサンさんが天下さまと戦争?

あはは~!それは、戦争にはなりませんよ!

巨大マグロにイワシが戦いを仕掛けているようなものですから・・・

もちろん、サンサンさんがイワシの方ですが・・・!
たぬき姫さま

おはようございます。

戦争がなければ、父母は額縁屋さんとして平穏な生活を送れたと思います。

店舗兼用の自宅は、空襲で焼けてしまいました。

天下さまとは、開戦通告もなく戦いが始まりますな。

あるとき新聞記事で「夫婦は、時々喧嘩をすると刺激になって長生きできる」とありました。

なので私どもは、100歳まで生きられるでしょうな。

たぶん。
おはようございます。

終戦記念日・・・。終戦後63年ですか。
戦争は絶対に風化させてはいけないですよね。

私も小学生時代に担任の先生(昭和一桁生まれくらいだったんでしょうか)か、授業の合間に戦争中の話を聞かせてもらいました。その中でB29の話はよく出てきましたねー。
でも赤トンボは知らなかったです。

お仕事お疲れ様です(^^)
こんばんわぁ☆彡

赤とんぼってタイトルだったから、
サンサンさんのところはもう秋?って思ったら、
違ってましたね^^;

たぁちゃんのご先祖様にも
戦死されてる人がいるので、
毎年、終戦記念日には手を合わせまする (^-人-^)

若くして戦死した無念さを想うと、
手を合わせずにはいられなくて。。。

修学旅行で、広島の原爆記念館を見たときも
亡くなった人の無念さが押し寄せてくるようで、
辛かったです(-_-;)

戦争は、二度としてはいけませぬぅ

ところで、奥様とは戦争状態なんですかぁ(・・?
ケンカするほど仲がいいって言いますもんね^^;

サンサンさんもたぁちゃんのとこも、
いつまでもラブラブでありますように☆
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