ユリウスさんのブログ

最新一覧へ

« 前へ14件目 / 全702件次へ »
ブログ

天皇陵は謎ばかり -宮内庁の厳禁措置の弊?-


 前エントリー「天皇の「生前退位」問題を考える -その真意は? ソースは? 黒幕は?-」で宮内庁の役人がメディアと国民に向かって公然と嘘を言っていることを書きました。

 未だに宮内庁の山本信一郎次長が「天皇陛下が『生前退位』の意向を宮内庁関係者に伝えているという事実は一切ない。そうした前提で、今後の対応を検討していることもない。」と7月13日に述べた言葉は取り消されていません。

 7月13日以来、次々とメディアが伝えているのは、この役人の言葉とはまったく正反対の事が次々と報じられています。

 象徴天皇は政治権力はOですが、権威は温存されているので、こういうことが起こるのでしょう。困ったことです。この傾向が強くなると、国民はだんだん天皇や天皇制について、自由に物が言えなくなります。


 さて、翔年は高槻市在住です。実は高槻市には第26代継体天皇陵があるのです。宮内庁は認めていませんが…。
 そこのちょっと微妙な話から始めます。(笑)



 宮内庁が継体天皇陵として守っているのは高槻市の隣、茨木市太田3丁目にある正式名称は「三島藍野陵」、古墳名は「太田茶臼山」です。古墳の規模は全国21位、天皇陵の見本のような、風格に満ちた巨墳だそうです。(素人の翔年には古墳の風格といわれてもピンときませんけれど…)

 ところが昭和61年5月、この古墳の外堤の内側から、継体天皇の没年よりも百年近くも古い5世紀中葉の円筒埴輪の破片が2千点も発見されたのです。宮内庁の外堤護岸工事に伴う事前発掘調査で出土したので、学者だけでなく我々周辺市の住人もびっくりでした。
 
 もっと驚いたことに、継体陵から北東へ1.5Km離れた我が高槻市郡家新町にある国指定の史跡、「今城塚古墳」が急に脚光を浴びることになりました。何故かというと、今城塚古墳は大正時代から継体天皇の真陵であると考えられてきた歴史があったからです。大きさは前方後円墳としては全国40位程度ですが、後期古墳としては抜群の大きさだそうですから特に問題なし。

 古墳の外形から築造年代は6世紀前半。継体天皇の没年に合致。その年代の形象埴輪や円筒埴輪も、二重濠の間の中堤から出土しました。

 今城塚は文献「延喜式」の記載と考古資料が完全に一致しており、ほとんどの学者がこれこそ本物の継体天皇陵として断定する古墳になったのです。

 このような事実によって、ほとんどの学者が今城塚古墳は継体天皇陵であると結論つけているのに、宮内庁はこれを継体天皇陵とは今も認めていません。そして茨木市太田の「三島藍野陵」は天皇陵として立ち入り禁止にして守っています。

 翔年は一役所にすぎない宮内庁がどんな権限で、学者の立ち入りさえも禁止するのかサッパリ分かりません。 多分不都合なことがあるのでしょう??? 何かわかりませんけれど。でも一役所の判断でそんなことをしていいものでしょうか?
権威主義がそうさせるのか? 墨守主義がそうさせるのか? 結果として正しい歴史を隠蔽し、日本文化の源流を歪めていると思えてなりません。



 このエントリーでは、陵墓のことを学問的に公平な立場で、かなり突っ込んだ主張がなされている矢澤高太郎著「天皇陵の謎」文春新書刊に全面的に頼りながら、「歴代天皇陛下一覧とその陵墓」という表を作ってみました。煩を避けるため古墳に焦点を当てています。
 
1. 宮内庁が管理している天皇陵を中心とした陵墓が196も存在しており、それらのすべては一切の立ち入り厳禁処置がとられている。

2. しかもそこに眠っているはずの天皇は9割近くが別人の可能性が高いと最近の考古学や歴史学の研究から分かって来ている。

3. それにも関わらず、宮内庁が江戸時代と明治時代に定めた天皇陵を頑なにガードを固めており、新しい知見が得られても一顧だにしません。

このような、事実や学術的知見の進歩に目を塞ぎ、こと勿れ主義の宮内庁の対応に不満を抱く立場から、歴代天皇の一覧表に天皇陵のほとんどが、考古学的、学術的に疑問が多く、そこに葬られている人物も天皇『かどうか、これも不確かなものであることを示したいと思います。勿論、学問には多様な学説があってあたり前、また学問的知見は漸進するものですから、これが絶対というものではありません。少なくとも、現在において大きな問題提起だとお考えいただければ幸いです。

 


歴代天皇陛下一覧とその陵墓(古墳のみ)

1. 神武天皇~開化天皇までの9人は現歴史学、考古学では実在が完全に否定されていますが、豪壮な陵墓はある。幕末に徳川幕府が朝廷政策の一環として新造、整備したものである。バカバカしいので空欄にしてます。

2. 後代天皇の陵墓と埋葬者についても、そのほとんどが考古学的、学術的に「?」です。

3. 宮内庁はこのような不確かな歴史を固定し、陵墓を立ち入り禁止の閉鎖的環境にして、守っています。

4. 考古学的、学術的発見や進歩があっても、これらの陵墓の間違いが正されることは決してありません。


「代」  「天皇(よみかな)」   「陵墓(所在地)、埋葬者、疑義?等」
1代   神武天皇(じんむ)    
2代   綏靖天皇(すいぜい)  
3代   安寧天皇(あんねい)  
4代   懿徳天皇(いとく)  
5代   考昭天皇(こうしょう)  
6代   考安天皇(こうあん)  
7代   考霊天皇(こうれい)  
8代   考元天皇(こうげん)  
9代   開化天皇(かいか)開化天皇陵(奈良市)前方後円、古墳の形式?? 
10代  崇神天皇(すじん)崇神天皇陵(天理市)前方後円、 考古学的に?
11代  垂仁天皇(すいにん)垂仁天皇陵(奈良市)菅原伏見東陵? 前方後円 
12代  景行天皇(けいこう)景行天皇陵(天理市)前方後円 考古学的に? 
13代  成務天皇(せいむ)成務天皇陵(奈良市)前方後円 考古学的に? 
14代  仲哀天皇(ちゅうあい) 仲哀天皇陵(御所市、藤井寺市?) 前方後円 検討の余地あり
※以上の天皇は実在が確認できない。神話時代の天皇と呼ぶ学者もいらっしゃる。

15代  応神天皇(おうじん)応神天皇陵(羽曳野市)前方後円 考古学的に?
16代  仁徳天皇(にんとく)仁徳天皇陵(堺市)前方後円 真の埋葬者は?
17代  履中天皇(りちゅう)  履中天皇陵(堺市)前方後円真の埋葬者は? 考古学的に?
18代  反正天皇(はんぜい) 反正天皇陵(堺市)前方後円 真の埋葬者は? 古墳の形式?
19代  允恭天皇(いんぎょう) 允恭天皇陵(藤井寺市)前方後円 考古学的に?
20代   安康天皇(あんこう) 菅原伏見西陵(奈良市)山形、古墳? 暗殺された天皇
21代   雄略天皇(ゆうりゃく)雄略天皇陵(羽曳野市)円? 付近の古墳検討要! 
22代   清寧天皇(せいねい)清寧天皇陵(羽曳野市)前方後円 付近の古墳余地?
23代   顕宗天皇(けんぞう)顕宗天皇陵(香芝市)前方後円 古墳か疑問? 
24代   仁賢天皇(にんけん) 仁賢天皇陵(藤井寺市)前方後円 付近の古墳の余地? 
25代   武烈天皇(ぶれつ)武烈天皇陵(香芝市)山形、古墳か疑問?  
26代(507-531)  継体天皇(けいたい) 継体天皇陵(茨木市?埋葬者? 高槻市〇)前方後円
27代(531-535)  安閑天皇(あんかん) 安閑天皇陵(羽曳野市)前方後円 考古学的に?
28代(535-539)  宣化天皇(せんか) 宣化天皇陵(橿原市)前方後円 付近の古墳の検討?
29代(539-571)  欽明天皇(きんめい) 欽明天皇陵(明日香村)前方後円 見瀬丸山古墳?
30代(587-592)  敏達天皇(びだつ)  敏達天皇陵(太子町)前方後円 墳形の形式?
31代(585-587)  用明天皇(ようめい) 用明天皇陵(太子町〇)、方墳 考古学的? 
32代(587-592)  崇峻天皇(すしゅん) 崇峻天皇陵(桜井市)方墳、円墳?真陵は?暗殺された天皇
33代(592-628) 推古天皇(すいこ) 女帝 推古天皇陵(太子町〇)方墳 検討の余地?
34代(629-641)  舒明天皇(じょめい) 舒明天皇陵(桜井市〇)方墳 考古学的?
35代(642-645)  皇極天皇(こうぎょく)(重祚して斉明天皇)
36代(645-654)  考徳天皇(こうとく) 孝徳天皇陵(太子町)円墳 考古学的?
37代(655-661) 斉明天皇(さいめい)女帝  斉明天皇陵(高取町)円墳、八角?眞陵は?
38代(661-671)  天智天皇(てんじ) 天智天皇陵(京都市◎)方墳   
39代(671-672)  弘文天皇(こうぶん) 弘文天皇陵(大津市)円墳考古学的??
40代(672-686)  天武天皇(てんむ)  天武天皇陵(明日香村◎)八角
41代(686-697) 持統天皇(じとう)女帝  持統天皇陵(天武天皇と合葬)
42代(697-707)  文武天皇(もんむ)  文武天皇陵(明日香村)円?真陵は?八角
43代(707-715)  元明天皇(げんめい)
44代(715-724)  元正天皇(げんしょう)
45代(724-749)  聖武天皇(しょうむ)
46代(749-758)  考謙天皇(こうけん)
47代(758-764)  淳仁天皇(じゅんにん)
48代(764-770)  称徳天皇(しょうとく)
49代(770-781)  光仁天皇(こうにん)
50代(781-806)  桓武天皇(かんむ)
51代(806-809)  平城天皇(へいぜい) 平城天皇陵(奈良市)
52代(809-823)  嵯峨天皇(さが)
53代(823-833)  淳和天皇(じゅんな)
54代(833-850)  仁明天皇(にんみょう)
55代(850-858)  文徳天皇(もんとく)
56代(858-876)  清和天皇(せいわ)
57代(876-884)  陽成天皇(ようぜい)
58代(884-887)  光考天皇(こうこう)
59代(887-897)  宇多天皇(うだ)
60代(897-930)  醍醐天皇(だいご)
61代(930-946)  朱雀天皇(すざく)
62代(946-967)  村上天皇(むらかみ)
63代(967-969)  冷泉天皇(れいぜい) 
64代(969-984)  円融天皇(えんゆう)
65代(984-986)  花山天皇(かざん)
66代(986-1011)  一条天皇(いちじょう)
67代(1011-1016)  三条天皇(さんじょう)
68代(1016-1036)  後一条天皇(ごいちじょう)
69代(1036-1045)  後朱雀天皇(ごすざく)
70代(1045-1068)  後冷泉天皇(ごれいぜい)
71代(1068-1072)  後三条天皇(ごさんじょう)
72代(1072-1086)  白河天皇(しらかわ)
73代(1086-1107)  堀河天皇(ほりかわ)
74代(1107-1123)  鳥羽天皇(とば)
75代(1123-1141)  崇徳天皇(すとく)
76代(1141-1155)  近衛天皇(このえ)
77代(1155-1158)  後白河天皇(ごしらかわ)
78代(1158-1165)  二条天皇(にじょう)
79代(1165-1168)  六条天皇(ろくじょう)
80代(1168-1180)  高倉天皇(たかくら)
81代(1180-1185)  安徳天皇(あんとく)    
82代(1183-1198)  後鳥羽天皇(ごとば)
83代(1198-1210)  土御門天皇(つちみかど)
84代(1210-1221) 順徳天皇(じゅんとく)
85代(1221-1221)  仲恭天皇(ちゅうきょう)
86代(1221-1242)  後堀河天皇(ごほりかわ)
87代(1232-1242)  四条天皇(しじょう)
88代(1242-1246)  後嵯峨天皇(ごさが)
89代(1246-1259)  後深草天皇(ごふかくさ)
90代(1246-1274)  亀山天皇 (かめやま)
91代(1274-1287)  後宇多天皇(ごうだ)
92代(1287-1298)  伏見天皇(ふしみ)
93代(1298-1301)  後伏見天皇(ごふしみ)
94代(1301-1308)  後二条天皇(ごにじょう)
95代(1308-1318)  花園天皇(はなぞの)
96代(1318-1339)  後醍醐天皇(ごだいご)
97代(1339-1368)  後村上天皇(ごむらかみ)
98代(1368-1383)  長慶天皇(ちょうけい)
99代(1383-1392)  後亀山天皇(ごかめやま)
100代(1382-1412) 後小松天皇(ごこまつ)
101代(1412-1428) 称光天皇(しょうこう)
102代(1428-1464) 後花園天皇(ごはなぞの)
103代(1464-1500) 後土御門天皇(ごつちみかど)
104代(1500-1526) 後柏原天皇(ごかしわばら)
105代(1526-1557) 後奈良天皇(ごなら)
106代(1557-1586) 正親町天皇(おおぎまち) 
107代(1586-1611) 後陽成天皇(ごようぜい)
108代(1611-1629) 後水尾天皇(ごみずのお)
109代(1629-1643) 明正天皇(めいしょう)
110代(1643-1654) 後光明天皇(ごこうみょう
111代(1654-1663) 後西天皇(ごさい)
112代(1663-1687) 霊元天皇(れいげん)
113代(1687-1709) 東山天皇(ひがしやま)
114代(1709-1735) 中御門天皇(なかみかど)
115代(1735-1747) 桜町天皇(さくらまち)
117代(1762-1770) 後桜町天皇(ごさくらまち)
118代(1770-1779) 後桃園天皇(ごももぞの)
119代(1779-1817) 光格天皇(こうかく)
120代(1817-1846) 仁考天皇(にんこう
121代(1846-1866) 孝明天皇(こうめい)
122代(1867-1912) 明治天皇(めいじ)
123代(1912-1926) 大正天皇(たいしょう)
124代(1926-1989) 昭和天皇(しょうわ)
125代(1989- )  今上陛下 


 見にくい資料を最後までお読みくださり、ありがとうございました。

 恥ずかしながら、翔年はこの歳になって初めて、歴代天皇の名前を読み方までしっかり確認して書きました。



 次回は「日本国憲法」について考えたいと思います。特に皇室に関する第一条~第八条です。アップできるのは10日ぐらい先になると思います。







いつも『もの言う翔年』を読んでくださりありがとうございます。お陰さまで「囲碁」も「政治評論」のジャンルもランキング上位に入っております。コメントをいただいたり、ランキングがそこそこにとどまっているのを励みにBlogを書いております。お暇なときに見てくだされば嬉しいです。にほんブログ村にほんブログ村
コメントを書く
コメントを投稿するには、ログイン(無料会員登録)が必要です。