心技体と言う。精神と技術と身体が、バランスよく整った状態が、柔道の競技で一番よく、総合力が発揮できる状態だという。
どれが先に来てもよいのだが、筆者は最近、これは、身体、技術、心の順であり、より重要なのは身体ではないかと考えるようになった。これは考えようで、どれが重要でもないのだが。そう、それは背骨の骨折事故以来、身体が思うように動かなかった。なんとか訓練して、最近では、周りから見て普通に歩けるようになる。少し痛みはあるが、これは何とか、普通の状態に近くなると希望が出てきた。
そうすると、身体が一番で、その次に技術ではないかと思うようになった。勿論、心の状態も重要だが、この心の状態は身体(骨折)にかなり左右される。筆者自身、もう駄目かと思い、これで場合によると、普通の生活に戻れないとも思った。幸いにして、ここまで回復した事を宇宙創造の神に感謝する。
次に技術だが、これは、仕事における能力の向上だろう。しかし、これまた、大変だ。その職業毎に、必要な技術知識は、必ず有る。それを、少しずつ向上するしかないのだろう。
そして、我慢して何とか乗り切るのも、一つの技術ではないかと、思うようになった。我慢も技術かである。たとえば、上司の言う事を我慢して聞くのである。これもその程度であるが、筆者の経験では、上司と喧嘩をして、いずらくなり、退職した人を数人見ている。その後のその人の人生は、どうなったか不明だが、おそらく、それ程よい条件で仕事が見つかったとも、思えない。
これが技術だと言えるかと思うが、やはり重要な技術ではないかと思う。それは、例のように喧嘩をして、会社を去る後はやはり、相当な困難が、待ち受けている。有利な条件で、転職したのならよいが、未だに、我が国では中高年の転職は、収入が激減する場合が多い。年収600万から200万に減るとかである。
このように、技術には目に見える、資格や免許などもあるが、丁度、無形文化財のように、説明出来ないようなものもある。仕事が多くて、うつ病になるのも嫌だが、これは病気になる程ではないと感じたら、我慢してそこで働くのも、当面の最善の方法ではないか。
今、我が国では50代になったサラリーマンに定年前の、退職の不安が殆どの人にある。退職を迫られたら、それは仕方ないが、しかしその前に、わざわざ、もめ事を起こして、退職することはないと思う。
もう一つ、こんな事が先行き待ちうてている事が前例で分かっていれば、その前に何か、次の仕事のための、資格や免許を密かに、取得するのも、生きる上での技術である。その人のやりたいその先の仕事を予想して、執りかかるのもよいだろう。大変な世の中になったと思う。しかし、昔もそうだった。